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第159回 東京小説読書会の報告

こんにちは!SHOKOです。2019年12月27日(金)、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第22回目として、田辺聖子著、新源氏物語(下)

(新潮文庫)を課題本に読書会を行いました。

「新源氏物語」は、2019年6月に亡くなられた田辺聖子さんによる「源氏物語」の現代語訳(翻案)で、その読みやすさと面白さから、刊行されて40年以上たった今でも広く支持を集める名作です。「注釈を見ないでも読めるおもしろい読み物」を目指したと作者が語る通り、わかりやすく美しい言葉遣いで描かれており、古典に馴染みのなかった読者の心も捉える魅力的な作品です。

光源氏の華麗なる人生も、ついに終焉を迎える下巻。上巻→中巻と進むにつれて面白くなっていた本シリーズ、最後の最後まで飽きずに読みきることができました!

以下、ネタバレを含みます。

下巻の前半は、明石の上が産み、紫の上が養育していた源氏の一人娘・ちい姫の裳着の儀式、そして入内と煌びやかに始まります。娘を東宮妃として入内させ、いよいよ栄華もきわまったように見える源氏ですが、どんなに位を極めたところで、人の悩みというものは尽きることがないようです。

■不器用な息子・夕霧

下巻では、源氏以外に夕霧やら柏木(頭の中将の息子)が、新たな時代の貴公子として大活躍(?)します。

“夕霧の存在って必要?”という斬新なご意見もありましたが、彼らの言動を通してさらに、主人公・光源氏の存在の大きさを伺えますよね。父親たちとの対比として楽しめると思いますよ。

夕霧も柏木も、彼らの父親達にくらべて、真面目で一途、恋愛に関してとても不器用です。ひとことで言うと、そんなに面白くない男たちです(!)。

彼らに共通していることとして、“女見る目ない”、“ストーカー気質”という残念なご意見が。。夕霧の正妻である雲井の雁に対して、“男といえば、幼馴染の夕霧としか交流がなくて、しかも彼がやたら大切に扱ってしまったので、超お姫様気質のわがままで嫌な女”という評価に、やたら納得してしまうのでした。というか、彼女にしても、女二の宮、三の宮、藤典侍に至るまで、源氏の周辺の女性たちに比べて、あまり魅力を感じないのでした。また、親友の未亡人(女二の宮)に対しての夕霧のアプローチがやばい、、と盛り上がりました。柏木も同じですが、どうも二人とも女性に対してスマートな態度がとれません(余裕なさすぎ)。浮気な優しい男のほうが恋愛相手としては魅力を感じる、誠実さ=優しさではないよねぇとしみじみ語りあいました。仕事もできるし、見た目もいい、同性の友達受けもいいのに女にもてないイケメン、そんな感じでしょうか。源氏は夕霧に、自分と同じ轍を踏ませないように用心に用心を重ねて慎重に教育してきたようですが、、女性に対するスマートな身の処し方くらい教えとけよ~と思わずにはいられません。とはいえ、“魅力って教えられないよ!”というご指摘に感心してしまいました。そんな夕霧ですが、父親より優れているところもあります。それは“子沢山”、というわけで、さすがに律儀もの、二桁の数の子供のお父さんというのは凄いです。その辺の生き様に、“マイルドヤンキー的なものを感じる”、というご意見もありました。

■絶対ヒロイン・紫の上

源氏物語を最初から最後まで読み通すと、紫の上のヒロインとしての存在感を否が応でも感じ取ることができる、と言われた方がいらっしゃいました。

誘拐(!)にはじまり、現代のモラルに照らし合わせたらアウトなめぐりあわせの夫婦ですが、最終的には幸せだったのではないでしょうか。そもそも、

紫の上という女性は、孤児同然の境遇から、強引に引き取った源氏に養育されましたね。当時の女性にとって、有力な親族という後ろ盾のない状況は、立場的に非常に不安だったと思われます。ゆえに、保護者である源氏に嫌われないようにという気配りは、常日頃からあったはず(幼い頃から身に染みて、無意識になっていたかもしれませんが)。下巻になると、さすがにそんな状況に疲れたのか、いちいちリアクションするのも疲れたわーと、心が源氏から離れていっているのが面白かったという感想がありました。ただ、他者からみたら、通い婚だった当時に、源氏が手元にずっと置いて一緒に暮らしてるという女性に対して、これは相当に特別な女性に違いない!と一目置かれていたのではという見解もありました。下巻は、中年の源氏に若い女三の宮が華々しく嫁いでくるというダメージや、朧月夜との焼け木杭に火的な浮気等々、、ストレス!と思われる出来事が次から次へと起こり、そりゃ早死にするわ…な展開に。

紫の上が、夕霧と女二の宮の問題に関して考えを巡らし、「女ほど、生きにくいものはないわー、人生の深い楽しみ、尽きせぬ面白みなんかを大きな顔で味わうこともできないんだもの。(略)人の言うままに自我を殺して生きてると、やがて物の通りもわからず、かたくなで無感動な女になってしまうのだわ。まさか、そんな女に育てようとは親も思いはしないだろうに。いいたいこともいわず、判断力も批判力もありながら自分を抑えているなんて、なんと辛い、苦しいことでしょう。…」と切々と語るところが印象的でした。女二の宮を気の毒がっているところなのに、その妹の三の宮への皮肉のようにも聞こえますし、また彼女自身、苦しんできたことのようにも聞こえます。ここの部分は田辺さんの解釈なのかなと思ったのですが、紫式部自身の心の声のようでもあります。

■晩年の光源氏について

紫の上を失ってボロボロになるあたりは、現代でも奥さんに先立たれて腑抜けになってしまうお父さんのようで、夫の生態は千年前から変わりません。源氏のアイデンティティは、結局紫の上という女性によって支えられていたのかしらん?とふと考えてしまいました。おそらく、それぞれが意識している以上に、互いの存在が大きいものだったのだと読者も改めて認識させられるのでした。

そして、いつまでたっても藤壺の面影をあきらめきれない源氏(紫の上を失ってから、やっとふっきれた感があるかも)に、千年前からこうなんだから、

男がマザコンなのは仕方ないよねーとなりました。女三の宮の降嫁に際して“藤壺に似てるかも~”という下心が少なからずあったはずで、さらに、不義の子・薫なのに、他の子どもたちに比べて美しいとか感心してるのも、“藤壺の血筋”というバイアスで見てるんじゃ?という鋭いご指摘が。(そこまで執着してるとさすがにキモいんですが…)

最後に、源氏が自分の生涯に対してどのような思いでいたのでしょうか?というトピックが出たのですが、“最終的に満足していたように見える”、“やはり、天皇の子として生まれたのに…という思いが最後まであったのでは”という二通りの解釈がありました。個人的には両方あったと思います!

新源氏物語の総括にふさわしい濃い2時間半でした。(私の拙い文章力のせいで伝えきれてないのが無念です…)忙しい年の瀬に、お集りいただいた参加者の皆様、どうもありがとうございました!

さて、次回は、源氏物語スピンオフ始動!“霧深き宇治の恋”、上下巻一気にやっちゃいます。2冊か!とビビらないで~読んでみて~読めちゃうから♪

皆様のご参加をお待ちしております。

2019.12.27開催、12.30記

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