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第158回 東京小説読書会の報告


2019年12月21日、チャールズ・ディケンズ著『クリスマス・キャロル』を課題本として、第158回東京小説読書会を開催しました。

※※※以下ネタバレを含みます※※※

主人公は、ケチで有名な老人スクルージ。彼のもとに、クリスマスイブの夜、かつてともに事業を営んでいたマーレイの亡霊が現れ、「明日から3夜つづけて、1体ずつの亡霊がお前のもとに現れる」と告げます。果たして予言通りに、夜ごと亡霊に向き合うこととなったスクルージは、自らの過去・現在・未来を見せられます。そして、「いままでの自分はあまりにもケチすぎた」と気づき、よき老人として改心する……、というお話です。

■オチの軽妙さ

本作のキモはオチです。スクルージが第三の亡霊に見せられたのは、自分の死後の世界でした。屋敷はぼろぼろ、寄ってたかって悪口を言われる未来を見せられ、「これではいけない」と改心するわけですが、あまりにもコロッと性格が変わってしまうので、読者ははじめ面くらいます。

性格が180度変わる場面が、亡霊との対峙を終えた翌朝。(※マーレイは「3夜続けて亡霊が現れる」と告げましたが、実際は1晩の出来事だったため、翌朝はクリスマス当日になります)

スクルージは町に出ると一人の少年にすれ違い、こう話しかけます。

〈「おーい、坊や!(略) 一つおいて先の通りに鶏肉屋があるのを知っているかね?」

「知ってますとも」と、男の子は答えた。

「りこうな子だよ、えらい子だ(以下略)」〉

(p.173/新潮文庫版・村岡花子訳・2011年新版より)

このくだりには、

「鶏肉屋があるだけで褒めるなんて、それまでのスクルージでは考えられない」

といった感想がありました。

そして、あれほどケチだったスクルージは、その鶏肉屋で一番大きな七面鳥を買ってくるように言い、しかも、今すぐに買ってきたらお駄賃をはずんであげようとも言います。

今でも英国では、スクルージはケチの代名詞になっていて、「Scrooge-like」という慣用句があるそうですが(本日のご参加者より教えていただきました)、そんな老人がこうまで劇的に変わってしまうなんて、驚きです。

■変わり身の早さ

なぜこうもあっさり改心したのでしょうか。

「ふとした気づきから『クリスマスだし、募金でもしてみようか』と行動することはあるかもしれないが、スクルージの場合、末代まで語り継がれる『いい人』になってしまい、価値観が一変している。何がここまで彼を変えさせたのか、興味深い」

「スクルージの中に、『このままではいけない』という思いがあったからこそ変われたのだろう」

「きっかけがないと人は意固地になる。スクルージの場合、自分の墓標を見たことがきっかけになった」

など、彼自身の「思い」や「気づき」によるものという意見のほか、「荒れ果てた死後の部屋を見せられたためでは」という意見もありました。

「3人の亡霊との対峙を終えて、スクルージが最初にしたことは、部屋のカーテンが元通りにかかっているかを確認することだった。それほど、第三の亡霊に見せられた部屋の荒廃ぶりにショックを受けたのだろう。そのことが改心の理由ではないか」

確かに、カーテンが元通りにかかっているさまを見るスクルージの喜びようといったらありません。

〈「これも引きはずされなかったんだな」と、スクルージは寝台のカーテンの一方を両腕に抱きしめながら叫んだ。

「環(わ)ごと引きはずされなくてすんだのだ。ちゃんとこうしてあるわい」〉(p170)

■実はお人よし?

スクルージは実はお人よしではないか、という声もあがりました。

その根拠が、甥っ子との関係です。

毎年クリスマスが近づくと、甥はスクルージのもとをたずねます。

「世間ではケチで通っているスクルージなのに、いまは亡きスクルージの妹が、甥っ子に向け、『伯父さんはみんなに嫌われているけれど、本当はいい人なのよ』と言い続けたからではないか」

という意見も聞かれました。

また、冒頭のスクルージと甥っ子のやり取りを傑作と評する声もありました。

スクルージの年齢から察するに、甥っ子も30前後になっていると思われますが、子どものような純粋さでスクルージ伯父に「クリスマスおめでとう!」と言いに来ます。

それに対するスクルージの恨み節が絶妙なのです。

〈「何がクリスマスおめでとうだ! 何の権利があってお前がめでたがるのかってことよ。貧乏人のくせに」〉(p13)

スクルージは、「決算月の12月に貧乏人がめでたがるなんて滑稽だ」という論調です。

日本でも「キリスト教徒でもないくせに、浮かれやがって」という声は聞かれますが、それに似たところがあるように思いました。

■クリスマスの雰囲気

読書会では『クリスマス・キャロル』に関して、

「ヨーロッパのクリスマスの雰囲気が伝わってくるところが好き」

「何年かに一度、クリスマスが近づくと読み返したくなる」

と話す方もいました。

作中では、町じゅうが祝祭ムードに包まれるクリスマスの様子が描かれ、「クリスマスに喧嘩をするなんて恥ずかしいことだね」(p95)という一文もあります。

また、「クリスマスにマーレイの亡霊が現れたのは、宗教的にも意義深い」と話す方もいました。

「マーレイはスクルージと同じように嫌われ者として世を去った。だから死後7年間も魂は漂い続け、救済されないのだろう。この物語は、マーレイからスクルージに改心することの大切さを伝えるものだが、それは著者から読者に向けて、悔い改めることの大切さや、クリスマスを機にキリストの教えを考え直すことの大切さを訴える意味もあったのだろう」

■幽霊さま!

ところで、スクルージは亡霊のことを「幽霊さま!」と呼びかけています。

「この呼びかけには違和感がある」

「迷訳で知られる花子節の本領発揮といったところだろうか」

といった話も出ましたが、「そもそもヨーロッパ人のいう亡霊と、日本人の思う亡霊とが、あまりにも異なっているのではないか」という指摘もありました。

「日本で亡霊(幽霊)といえば、この世に未練や怨念があって成仏できずに漂っているものだが、ヨーロッパでは聖霊や天使といった意味も含むのでは?」

なるほど。面白い考察ですね。

私ことUranoも気になり、帰宅後に調べてみると、Ghostは古く「霊」という意味で、聖霊は「the Holy Ghost」と表記したそうです。

1950年代以降、これに代わって「the Holy Spirit」が用いられることになったのだとか。

(ちなみに『クリスマス・キャロル』は1843年刊)

同辞書にはこうも書かれていました。

「英米のghostは女性とは限らず、ふつうは足がある。また、夏よりも冬の夜中に出没することが多い」

(『アンカーコズミカ英和辞典』学習研究社、2008年)

本作の冒頭には、第一の亡霊にうながされて外に出てみると、そこらじゅうに亡霊が漂っているという描写があります。

恨みを果たすため、特定の人や場所に取り付く日本の幽霊と違って、ロンドンの亡霊は、常に隣人として存在しているのですね。

読書会では、ほかにも亡霊が登場する英文学として『ハムレット』や『嵐が丘』が、また、価値観の対比など二面性をデフォルメした作品として『ジキルとハイド』などが挙げられました。

冬休みに読んでみようかな~。

2019.12.21開催、12.30記

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