第155回 東京小説読書会の報告
こんにちは!SHOKOです。2019年11月29日、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第21回目として、田辺聖子著、新源氏物語(中)(新潮文庫)を課題本に読書会を行いました。
「新源氏物語」は、今年6月に亡くなられた田辺聖子さんによる「源氏物語」の現代語訳(翻案)で、その読みやすさと面白さから、刊行されて40年以上たった今でも広く支持を集める名作です。「注釈を見ないでも読めるおもしろい読み物」を目指したと作者が語る通り、わかりやすく美しい言葉遣いで描かれており、古典に馴染みのなかった読者の心も捉える魅力的な作品です。
中巻は、原典の“蓬生”~“真木柱”までが含まれています。恋多き美青年もいよいよ中年期突入!
以下、ネタバレを含みます。
本シリーズ初参加の方々に第一印象をお伺いしたところ、
“源氏物語が大好きでいろいろ読んできたけれど、今回田辺版を初めて読んで、とても読みやすかった。”
”昔チャレンジして挫折したけど、これは読みやすかった。普段は海外文学を読むことが多いので、今回改めて日本語の美しさを
しみじみ感じることができてよかった。”
ということで、読みさすさや文章の美しさは、やはり誰もが認めるところのようです。
■光源氏の変化が…
中巻からは源氏の生き様が赤裸々になってきます。上巻は、源氏物語“ザ・ハイライト”のようなめくるめく平安絵巻の世界でしたが、もっと生々しい人間ドラマが展開していき、主人公以外の人達の活躍も楽しめます。
源氏について、“いい男になってきた”と印象を述べた方がいらっしゃいました。出家した藤壺と政治の話をしはじめ、恋愛感情だけではない、いい大人の関係に発展していく変化が面白いということです。須磨から戻り、政治の表舞台に返り咲き、栄華を極めようとする大人の男の魅力、中年の厭らしさと人間臭さ、複雑で面白い人物になってきたのではないかなと思います。本人は、依然モテてモテてこまっちゃう(MMK)気分だったりするのですが、若い時は受け入れてもらえた強引さも疎まれだしたり、状況と立場が欲望のストッパーになっているのか、女性たちに対して慎重な態度になってきます。とはいえ、元カノの娘(秋好中宮)や、友人の娘(玉鬘)をさりげなーくひきとり、下心ダダ漏らすところに、“相変わらずクズだ…”とのお声もありました。ただ、源氏の優れているところは、他人に共感できる、他人に積極的に興味をもつというところ。コミュ力高めの人気者!は、令和の現代にも通用するような気がします。
そもそも“光源氏礼賛”ではなく、“こういう男に気をつけなさい”という指南書のようだとのご指摘がありました。確かに恋愛以外のことについても、様々な教訓が含まれている本書。なにもかも掌中にしてしまう強運の主人公をもってしても、人生って無常なのよねということがじわじわにわかる演出も素晴らしいです。彼の一生を通じて見えることに誰でも共感できるものがあるから、こんなにも長く愛される物語になっているのかもしれませんね。
■光源氏以外の男性たち
上巻に関しては、続々登場する個性豊かなヒロインたちを源氏が独占している状態でしたが、中巻からは男性のバリエーションが広がります。地方からは九州男児も参戦しました。(でも九州をディすりすぎでは?という同情の声多数…。)源氏の息子・夕霧も登場して、思春期の真っ只中でいろんなことを目撃して悶々としてしまうのでした。自分自身が反面教師な父親の教育が功を奏して、気の毒なくらい真面目な人になってた遊び人の息子…。(果たして、いい親なんだろうか?)
人気が高かったのは、髭黒さんでした。物語の主人公と対極なキャラと、平安時代らしからぬマッチョさ、女性に対する誠実さが好感度高めです。現代女性には高評価の髭黒大将ですが、いっこうに靡かない玉鬘に対して、“根気よく誠意をもって愛しつづけていけば…”と希望的観測で自分を慰めるところに、 田辺さんらしいユーモアで“男と女の仲は、誠意だけでは片付かないものがあるから、厄介である。”と補填されているのですが、こういうちょっとした表現に、古典と現代人との距離を一気に縮める仕掛けを感じます。
優れた作家は両性具有の感性の持主であるということが、今回特に実感できたというご意見がありました。源氏物語は、女性だけではなく、男性の本音や心情もうまく描写されています。そもそも“人生”を丁寧に描いていると評された方がいました。また、男性が中心となっている社会を女性が傍から観察していたから、女性が物語を書くようになったのかもと指摘される方がいました。紫式部は、とても優秀な女性だったようですが、それでもやはり男性社会での役割が限定されていた、そういう鬱屈した思いがあるのかもしれません。それゆえ、自分を物語の男性たちに投影していたのかもしれないですね。
■新旧のヒロインたち
九州からはるばる上京し、中央の社会にデビューした玉鬘というヒロインが出てきて、源氏のまわりがざわつきだすのが面白かったです。この女性は、流されているようでいて、実は自分の意志で人生切り開いている感じがして、今までのヒロインとは毛色が違う印象があります。また、朝顔の巻が好きという方が複数いらっしゃいました。源氏のアプローチに靡くことなく、自分なりに想いを昇華させているあたりが清々しくて素敵、ということです。恋愛のかたちも幸せも、“みんな違ってみんないい”ということでしょうか。
また、相変わらずブレない末摘花。この女性を通してみる源氏という人の優しさは、誰かを不憫とか可哀そうと思う、上から目線のものだという見解が。。(不幸な女が好きなの?不憫萌え?)同じく恋愛対象から外れている、花散里との老夫婦のような穏やかな関係が一番いい、との指摘もありました。そして、紫の上について、“源氏のつくった枠のなかにしか生きられないということを知りつつ、それでも自分の生き方を試行錯誤しているようで好感が持てる。応援したくなる女性”とみる方がいらっしゃいました。現代女性から一番遠いようでいて、実は一番近いのかもしれません。男(源氏)の好むような仕草や態度をしていることを彼女の処世術とすれば、履きたくもない肌色ストッキングをはいて笑顔で仕事するOLみたいじゃないですか!(え?違う?)また、新たな女性の登場によって、紫の上が不安になり、源氏に対して疑心暗鬼になっていく展開が興味深いという感想がありました。
■紫式部の小説論?
“恋の闇路にほのかなる蛍”の章で、玉鬘が小説に夢中になっているところに、源氏が、“作り話にだまされるなんて女というものは…”と冷やかしながらも、小説とは、ということを延々と語る場面があり、これは紫式部(と田辺さん)の小説論では?と盛り上がりました。”小説の中にこそ人間の真実が書き残されているのだ。“と、最終的には源氏が力説しているのですが、物語の流れとは違う雰囲気だったのでとても印象的でした。
五感をフルに活用しながら生活していた人々が目にしたであろう、平安時代の風物や色彩の描写が多く、ワクワクしながら読みすすめたという方が多かったようです。お正月の衣装選びにウキウキし、季節の花を愛で、行事ごとに感性を競い、自然の事象(月や野分)に全身全霊で向きあっていた平安人のくらしを、一緒に体験したような気分になりました。
今回も、それぞれに感じたことを自由にシェアする楽しいひとときでした。参加者のみなさま、どうもありがとうございました!
いよいよ来月は下巻、落ち着いたと思った源氏の人生にまた一波乱?ご参加お待ちしております!
2019.11.29開催、12.3記