第123回 東京小説読書会の報告
- tokyonovelsparty
- 2019年4月1日
- 読了時間: 6分

こんにちは!SHOKOです。2019年3月27日、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第13回目として、ドストエフスキー著(望月哲男訳)「白痴 3」(河出文庫版)を課題本に読書会を行いました。 「白痴」は19世紀ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの長編小説で、「罪と罰」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と共に後期長篇作品と呼ばれ、その中でももっともロマンとサスペンスに満ちた傑作と言われています。
「白痴 2」でモスクワからペテルブルクに帰還したムィシュキン公爵がナスターシャを追ってロゴージンに襲撃されるのですが、癲癇の発作で危うく難を逃れます。その後、エパンチン家の別荘があるパーブロフスクへ行き、エパンチン家の3女アグラーヤとの距離を縮めます。さらに、ムィシュキン公爵の誕生日会では、結核のため死期の近いイッポリートが自作の「弁明」を発表し、自殺を図るのですが…。(以下、重大なネタバレを含みます) 今回はいつも以上にコンパクトな読書会となったので、いつもの会議室を飛び出して(?)、美味しいコーヒーやサンドイッチをつまみながらのまったりとしたひとときとなりました。。3か月間、継続して参加していただいたHさん、Iさん、本当にありがとうございました!この会がなかったら、きっと読破できませんでした…。

さて、3も相変わらず大げさな人たちが大げさに語りまくるスタイルは変わらずですが、ラブストーリーがいよいよ佳境に入ります。ナスターシャへの気持ちは残したまま、いつの間にかアグラーヤの婚約者となるムィシュキン公爵なのですが、この辺について、“あれ?いつの間に?”と最初の頁に戻るくらい物語についていけてなかった私です…。登場人物の気持ちや性格に一貫性を感じられず戸惑いました。さらに、「どうして彼らが相手に恋をしているのか?」という部分もなかなか理解しづらく、参加者の皆様の見解がこれほど有難いと思える課題本は、他にあまりないような気分になってました。“女性たちについては、その美貌が何よりも魅力として強く伝わる。特にナスターシャについては典型的なファムファタル”というご意見を伺い、ちょっとだけ納得。公爵については“ありのままの自分を受け入れてくれる”という、当時の他の男性たちとは違う態度に女性たちが魅力を感じているのでは?という見解を伺いました。にしても、この登場人物たち、揃いも揃って性格悪くないですか(笑)。
次に「なんで、わざわざ恋敵に会いにいくの?」、ナスターシャvsアグラーヤの場面です。そもそも、何しに行ったの?という素朴な疑問がありました。
アグラーヤとしては、“このモヤっとした三角関係にケリをつけたかった”、“自分が公爵の全てにならないと気が済まなかった”、“私が勝ちなのよ、と見せつけたかった”という見解を伺いました。そして、それが墓穴を掘るわけですが…。
ただ、この女のガチバトルはめちゃ面白かったですよね。ナスターシャの生き様や主張の矛盾をゴリゴリ小突きまくるアグラーヤ、勝負としては結構優勢かな~と思っていたのですが、男性の目の前で喧嘩して勝っちゃいけないという教訓もあるのでしょうか。
ちょっとモヤ~っとしたのは、公爵の愛の源泉は結局、“可哀そう”という気持ちなんじゃないの?それって恋愛なの?というところでした。スイスのマリーの話を思い出しちゃいます。本当は誰も好きじゃないんじゃね?とか考えてしまいます。ナスターシャを選んでも、アグラーヤを選んでも、結局どちらの女性も公爵に対して“疑心暗鬼”になるから、公爵が登場した時点でナスターシャの運命は決まってしまっていたのでは?という鋭いご指摘がありました。
公爵をめぐる二人(ナスターシャとアグラーヤ)、ナスターシャをめぐる二人(公爵とロゴージン)、さらに言えばアグラーヤをめぐる二人(公爵とラドームスキー)、、対比のようで対比でないので不思議な構造だなぁと思ったのですが、どの関係性にもそんなに、説得力を感じないとおっしゃる方もいらっしゃいました。
あくまで、ドストエフスキーという男性目線の女性が描かれているという点で、女性目線では、ヒロインたちの魅力に物足りなさを感じえなかったのですが(その点は1巻から最終巻までずっと話題にあがっており)、、。その反対に、今回だけは特別魅力的に思えたのが、3巻でいきなり“まともな人”になってしまったラドームスキー氏でした。2巻では浮ついたちょっと鼻につくヤツってイメージでしたが、3巻では迷走っぷりも極まった公爵に対して、かなり核心的な発言をし、ナイスガイにキャラ変していて驚きましたよね。そしていつも千鳥足の年季の入ったナイスガイ、虚言壁のイヴォルギン将軍にはみんなが優しいよね!と見解の一致がありました。“敬老精神?”“明らかにおかしいからむしろ優しくできる”“飲み屋にいるようなタイプだよね”、そもそもこの酔っ払いの描写は作者の周辺に実在した人物(もしくはドストエフスキー自身)なんだろうね、、、としみじみと語り合ってしまいました。酔っ払いへの優しい眼差しにほっこりしたりしなかったり。
ナスターシャが結婚式でロゴージンに「私を助けて」と言う心情について、どう理解しましたか?と聞いたところ“憐みから結婚する私を”“このままでは私が公爵をダメにしてしまう”→そんな状況から救いだしてという二通りの解釈がありました。前者だとしたらナスターシャを救うため、後者だったら公爵のためですよね。その後、ナスターシャがロゴージンの手にかかる点については、“理屈じゃない!”“自分のエゴではなく彼女のためという想いから”等々見解がわかれました。個人的には、ロゴージンの意図云々より、この最後の場面が倒錯的でとても美しいと思いました。(遺体の傍で殺人者に添い寝する公爵の図…)
最後に読み終えて、ラブストーリーというより、公爵やそのほかの人物たちがやたら語りまくる、“死”や“終わり”へのこだわりが感じられる物語だったという感想がありました。その概念は、そもそも愛(エロス)と表裏一体で語られることが多いし、あながち間違った印象ではない気がします。
さらに、前回参加していただいたドストファンの方の御指南の通り、好きなところだけ読む!でOK、短編小説的に拾い読みするのもあり!は正解、と改めて実感しました。今回、参加者の方から“イッポリートの独白を読みかえしたら前より面白かった!”と伺い、私も読み返してみたところ…、“あれ?こんなこと言ってたっけ?”と、最初に読んだときより面白かったんです…。いまさらですが、じわじわ本作の素晴らしさがわかってきましたよ!読んでいる途中は、しんどい、、、と思ったんですが、いまとなっては、またちょっと時間を置いたら読み返そうかな、、という気分になってますし!
というわけで、本当におつかれさまでした。
平成もまもなく終わりますが、平成の小説にはない“クセ”のある大作でした…。でもこの長編のどこか、誰かが語っているところだけ切り取って昨今の小説の一篇ができてしまうのではないかな、というくらい密度の濃い内容だったと思います。(これから先、こんなの書く人いないんだろうな!)
次回は、昭和天皇も読破されたという日本の名作「細雪」です!よろしくお願いします。
2019.3.27開催、4.1記
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