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第117回 東京小説読書会の報告

こんにちは!SHOKOです。2019年2月22日、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第12回目として、ドストエフスキー著(望月哲男訳)「白痴 2」(河出文庫版)を課題本に読書会を行いました。

「白痴」は19世紀ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの長編小説で、「罪と罰」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と共に後期長篇作品と呼ばれ、その中でももっともロマンとサスペンスに満ちた傑作と言われています。

「白痴 1」ではスイスからペテルブルクに帰還したムィシュキン公爵の長い一日が描かれており、ナスターシャ・フィリポヴナ邸での奇妙な夜会で締めくくられていました。夜会の直後、ムィシュキン公爵は遺産相続のために急遽モスクワへ出発します。「白痴 2」は、夜会から6ヵ月後、公爵がモスクワらからペテルブルクに戻ってくるところから始まります。季節は初夏へとうつり、公爵もスイスから身一つで帰還した貧相な青年ではなくなり、莫大な遺産を手にした青年貴族らしくなってきて…。。

■苦行…?

作品ファンの皆様すみません!!「白痴 2」の読了への道のりは苦行でした…。あ~あ~もうこれは、ロシア文学の神髄を知らない私の教養のなさのせいですが~~、読書会がなければ挫折してた自信があります(しょんぼり)。と思っていたところ、他の参加者からも“苦行”の声を聞いて、ちょっと安心しました。(オイ!)

今回、作品が大好きという参加者の方がいらっしゃって、ご期待に添える会とならず甚だ遺憾でしたが・・・、作品ファンの集いではないのでご容赦くださいm(_ _;)m。ただ、今回の読書会に際して、ファンの方の見解や知識がとてもとても有難かったですし、非常に参考になりました。むしろ、読む前に聞きたかったくらいです!これから、ドスト作品に着手しようとしている方は、まず作者の生涯について軽くおさらいしておくことが、作品理解の大きな助力になるようですよ!(当たり前か!)

■んじゃ、どう読むの?

手こずった一因が、物語の本筋と関係のなさそうな演説(しかも長い)が唐突にぶっこまれる、、というところでした。ムィシュキン公爵がロゴージンに会いに行く→約束を違えてナスターシャを訪ねる→ロゴージンに襲撃される一連の流れは、とてもスリリングで面白い!と思いながら読めるのですが、その後、レーベジェフの別荘でいろんな人が集まりだすところから混乱してくるのでした。侯爵の遺産をめぐって後継者と名乗る青年およびその友人が乗り込むところ、エパンチン将軍夫人がキレてまくしたてる場面が延々と続きます。面白くないなと思うところは飛ばしてしまっても問題ない、という心強いご意見がありました。作品を書いている時代、ドストエフスキーが社会的に発言する機会を失っている時期だったので、なおさら、自分が主張したいことを作品の登場人物に言わせている傾向があり、ゆえに、作中様々に飛び交う思想から、作者の分裂したキャラクターを楽しめるというわけです。長い演説の部分は、語っている人物になってみると面白いという感想がありました。だからこそ、何度か読んでいると、その時々の自分の心境にあった部分だけが浮かび上がるので、繰り返し読むという楽しみを見出せる作品ということなのです!(なるほど)作者がこの作品へ苦しんだ経験を昇華させていると考えると、なにかしら苦しんだ経験がある人ほど楽しみが見いだせるのかもしれないですね。さらに、レーベジェフの別荘での場面では、金持ちvs貧乏という対比を見せたかったのでは?という見解もありました。

■ムィシュキン公爵について

ここまで読んで、「公爵はなぜ周囲の人々を魅了するの?ましてや、アグラーヤやナスターシャは、美人で裕福な環境にいるから、多くの男からアプローチされているはず。それでもやはり公爵がいいのはなんで?」という素朴な疑問がありました。そもそも、公爵の存在は“キリスト”になぞらえている、作者が理想とする人物像なのでしょうが、今のところヒロインの心情をはかる部分が少ないせいで、恋愛小説と思って読んでしまうと、その状況の理解がしづらいかなぁという印象を受けてしまいます。公爵の魅力!について参加者の皆様からご意見を伺ったところ、「自分は“白痴”と振り切って自尊心がない分、他の人より生きやすい」「しがらみがなくお金がある(最高…)」「登場人物たちはなにかしら脛に傷をもつ人々。だけど彼らを公爵はそのまま“容認”する」「決めつけがなく語りが素直」「純粋というより苦悩する姿に魅力を感じる」「悩みがないという立場で悩み多き人々を見ている」etc.

単純な男らしさとか、純粋さ一途さでいったらロゴージン(マイルドヤンキー認定)のほうがわかりやすくて好感がもてる…(個人の感想です)。

■エキセントリックな人々

「白痴 2」だけで言えば、エパンチン将軍夫人とイッポリート君のインパクトが強めで、なかなかラブストーリーの気配を感じられなかったのですが、恋の当て馬?ラドームスキーという人物が新キャラで登場したのが、ちょっとした変化でした。二人のヒロイン(ナスターシャ、アグラーヤ)、当て馬(ロゴージン、ラドームスキー)、そしてムィシュキン公爵という構造は面白いですよね。(ただ、何度も言いますが、それ以外の部分が多いんですわ。)

今回一応、版元指定(河出)だったのですが(別の版元で参加しても大丈夫ですよ!)、エパンチン将軍夫人の語り口があまり貴族らしからぬ雰囲気でびっくりしたよねーと軽く盛り上がりました。。(キャスティングは渡辺えり子さんで。)ところが、新潮版では、そこまで砕けた印象ではないということが発覚し、やはり翻訳によって印象がだいぶ異なるということを再認識しました。でも、このエリザヴェータおばさん(失礼…)、暴走するけど悪い人じゃないよねぇと満場一致の見解でした。いろんな種類の善人を描いているという指摘があり、公爵とは違う種類の“いいひと”の描写で、本当に公爵っていいひとかしら?と振り返るきっかけになりした。素直な分、残酷なのでは?と。(子供がそうですよね)

また、イッポリート君について、あまりに“かまってちゃん”すぎて、ちょっとウザいんだけど…とうっかり思ってしまうのですが、キャラがたちすぎてむしろ好きというファンもいました。自分があと一週間で死ぬという気分で読むとハマってくるらしいですよ。どこに感情移入するかで、だいぶ違った見え方ができるということですが、、全く感情移入できなかった私は負け組です…。(いつかリベンジします)が、こういう古典文学に共感できるというのは、ある意味“ダメ人間かも”という見解に救われました。

ヒロインたちにそんなに魅力を感じないというご意見がありましたが、確かに、それ以外の登場人物の造形の深さに比べたらちょっと物足りない印象はうけます。

「公爵ではなくて、周囲がむしろ“白痴”なのでは?」という鋭いご指摘があり、おかげで主要人物以外が語りまくる2巻の意味合いが浮かび上がってきました。

“恋”と“破滅”がセットと言われるドストの恋愛観を次巻で大いに楽しめるのでしょうか…。これは恋愛小説というより、ドストエフスキー版の“黙示録”という見解もありました。確かにいまのところ、そっちの色合いが強いかも…。ただ、次巻は今回ご指摘いただいた点を踏まえて読み進めようと思います!参加者のみなさま、ありがとうございました!

2019.2.22開催、2.24記

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