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第113回 東京小説読書会の報告

こんにちは!SHOKOです。2019年1月25日、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第11回目として、ドストエフスキー著(望月哲男訳)「白痴 1」(河出文庫版)を課題本に読書会を行いました。ロシア文学の読書会にふさわしい寒さ厳しい冬の夜、初参加の方1名を含む7人で名作の読解に挑みました。

「白痴」は19世紀ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの長編小説で、「罪と罰」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と共に後期長篇作品と呼ばれ、その中でももっともロマンとサスペンスに満ちた傑作と言われています。

初冬のペテルブルクに降り立ったムィシュキン公爵。幼児期からの病気療養のため長年スイスで暮らしていましたが、後援者の死去もあり、ロシアへ戻ることになったのでした。両親がすでに亡くなっているムィシュキン公爵は、遠縁のエパンチン将軍夫人を頼ろうと、将軍宅に立ち寄り、そこでペテルブルク行きの列車で知り合ったロゴージンの想い人であるナスターシャ・フィリポヴナとエパンチン将軍の秘書ガブリーラの政略結婚の企みを知ることになります。

ペテルブルク行きの列車→エパンチン将軍宅→カヴリーラ宅→ナスターシャ宅と、河出版の1巻はムィシュキン公爵がロシアに戻った第一日目の出来事が描かれています。サブタイトルとしては、「ムィシュキン公爵の長くて濃い一日」もしくは「登場人物紹介」といったところでしょうか…。

■第一印象…

本作については“ロマン”と“サスペンス”に満ちた内容ということなのですが、1巻の印象としては、すこし荒唐無稽なコメディのようなところもあり、他の長編作品を読んだ方からも「比較的読みやすい」「他作品に比べて平和」というご意見を伺いました。

ただ、その長さゆえに「蛇足が多いんじゃ…」という印象もあり、確かに、このネタって物語にそんなに関係あるの?とうっかり考えてしまう部分はところどころに見受けられました。作者の教養を楽しむ要素があるから長いというのがロシア文学の特徴のようなのですが(たぶん)、読者にも心のゆとりが求められるのでしょうか。。結論に急がず、寄り道をしながらじっくり物語を楽しむというのは贅沢なことですよね。また、作者自身の体験から描かれている処刑の話(繰り返しでてくる)は、いろいろ考えさせられることが多い深ーーい逸話でした。ただ、これ以上繰り返されたらちょっとウザいかもしれません…。(きっとこのエピソードをどうしても描きたかったんだろうね、とちょっと話題になりました。)ほとんどの参加者の方から「慣れるまで時間がかかった…」「ちょっとてこずった」というお話がありました。ただ、いったん調子を捉えたら一気に読んでしまえる面白さがあるので、そこまで読みきるために月一の点呼(読書会)はいいアイディアだと思うんです!

■饒舌で個性的な登場人物たち

“名前に慣れる!覚える!”…という問題は、偉大なロシア文学を楽しむために越えなければならないハードルです。また、同一人物がいろんな名前で呼ばれるというトラップもあり(例えば、ロゴージンが途中で“色黒”と呼ばれるなど)、戸惑う方は少なくないはずです。

今回、登場人物たちがかなり饒舌で会話がとても多いです。さらにテンションも高い。これが面白かったという方と、その逆で、あまりにも登場人物がしゃべりすぎるから嫌になってしまった…というご意見がありました。罵り合いも一種のコミュニケーション、ぶつかり合える人間関係の距離の近さ、その生々しさが、当時の上流社会を身近なものに感じさせてくれます。

参加者同士で一番話題になったのが、やはり“ムィシュキン公爵”についてです。彼の言動はまさに“女心はこうして掴め”のお手本かもしれないとの意見に頷けるほど、そのコミュ力の高さに全員が感心してしまったのでした。初対面の美人3姉妹とあっという間に仲良くなってしまう、やはり“聞き上手”でソフトな男性はモテるんだよ!と軽く盛り上がりました。ただその反面「マリーについての話には違和感を覚える。自分をよく見せようとしているようにみえる。(計算高さを感じる!)」「一番感情移入しづらかった」等のご意見もありました。“白痴”どころか“おばかさん”でもなく、むしろ頭がいい人のでは?洞察力が鋭くて、人と違う見方をするところが周囲とは異質で“おばかさん”とされるのか?大人らしくない、かけひきをしない、経験がないところが“白痴”というのか?等々、一通りでない印象を残す謎めいた魅力的な人物です。打算なく駆け引きをしないところが子供たちの人気を得てしまうのだろうと思われるのですが、ただ、“純粋”かどうかは疑問だという見解がありました。個人的には、「僕は恋をしたことがありません」というセリフがやけに印象的でした。(そんなこと言われたら世間知らずな3姉妹は気になって眠れないに違いない!)“純粋”という意味では、ナスターシャにめちゃくちゃ一途なロゴージンのほうが“純粋だ”というロゴファンの声がありました。不器用で、ちょっとバカ(?)な感じがむしろ可愛いということです。(わかります…)勢いがないとナスターシャを誘えないというところも、ちょっといいじゃぁないですか。。無骨で古風なロゴージン、今風でソフトなモテ男ムィシュキン、という対比が面白いです。時代的に日本は江戸後期くらいだから、日本男児のモテ観も武骨な武士から色白優男に移行してるあたりという鋭いご指摘がありました。

一番不人気だったのがイケメンのカヴリーラでした。「キャラが定まってない」「世俗的すぎ」「妹に手をあげるなんて最悪」「なんでそんなにお金が必要なのか謎」「たちが悪い」「屁理屈が多い」まとめるとめんどくさい男、さらにシンプル言うと性格が悪い、、ということでちょっと人気を得ることはないんではないでしょうか…。やはり人間見た目だけじゃないんですね!

トーツキー氏については、“その時代のロシアって50代が男盛りなの?!”でだいぶ盛り上がりました。経済力も社会的な地位もあり、女の目利きという特技もある氏が、50代で15歳のナスターシャを妾にし、さらにその後25歳の妻をもらおうとしているというところが、当時の結婚観として普通なの?とひとしきり話題にあがりました。ご存じの方がいたら教えていただきたく…。

■ヒロインも主張強めでした

そして、その美貌で男たちを翻弄するナスターシャ・フィリポヴナ。15歳のときからトーツキーに囲われ、9年後(物語の現在)、持参金をつけられて他の男との結婚を画策されているという設定。いずれはトーツキー夫人に収まるつもりだったのでしょうか?そんな彼女は、厄介払い的な扱いに納得できず、捨て鉢になっている様子がうかがえました。1巻だけでは、彼女がどういう人物でなにがしたいのかは計り知れません。半ばヤケになっているナスターシャは、トーツキーにとって怖い存在なのでしょうね。男とお金がないと女性は生きるのが困難という当時の社会通念に、抵抗しようとしているところが痛快というご意見もありました。ただトーツキーに扶養され教育を施されたことに対してあまり恩を感じていないところが気になったのですが、それはとても日本的な感覚なのかもしれないです。なぜ彼女がそこまでトーツキーを恨むのか(彼がいなかったらどうやって生きていたの?)理解しきれないところもありました。そして、1巻ではそれほど目立った活躍がなかったエパンチン家の3姉妹中一番の美人(性格もよさそう!)、アグラーヤ嬢の2巻以降の活躍に期待しています。

随所に皮肉やユーモアが感じられて、ロシア人ってこういう人たちなのかしら?と意外な発見があったという感想がありました。とひかく”クセ”強めなキャラクターだらけの本作、1巻ではまだドラマらしいドラマが起こってはいないのですが、物語は徐々に加速していく予感がします。会の終盤では、来月から実際にロシアに行かれるという参加者の方からの報告で、さらに話題が広がり(ロシアの50代が本当に素敵かどうか確認してきて!)、大いに盛り上がることができました。参加者のみなさん、どうもありがとうございました!来月以降もよろしくお願いします。

2019.1.25開催、1.29記

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