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第104回 東京小説読書会の報告


2018年11月21日、松本清張著「或る『小倉日記』伝」を課題本に読書会を開催しました。選書経過は、

「たまにはミステリーを課題にしたいよね~」

「コナン・ドイルはどうかな~」

「ドイルを読むなら松本清張がいい!」

「だけど、清張の作品はだいたいドラマで見てるよね~」

「なら「或る『小倉日記』伝」はどうかな!」

といった調子でした。

意外にも、当読書会で課題本に選んだ初の芥川賞作品です。

※※※以下、重大なネタバレを含みます※※※

■あらすじ

本作の舞台は昭和15年から25年までの福岡県小倉です。主人公は田上耕作、明治42年生まれ(※著者・松本清張と同い年という設定です)。おそらくは小児麻痺のせいで顔がゆがみ、片足を引きずって歩く姿から、周囲から好奇の目で見られますが、頭脳明晰で学業優秀。中学の同級生の江南が生涯唯一の友人で、ある日江南から、森鷗外の「独身」という作品を紹介されます。

「鷗外が小倉にいたころのことが書いてあるから面白いよ」と言われ読んでみると、伝便(でんびん)について仔細に書かれていることに興味を持ちました。伝便は小倉にのみ伝わった西洋の習慣で、郵便よりも気軽に、手早く情報伝達するサービスです。耕作の気を惹いたのは、「伝便屋の鈴の音」が、幼いころの記憶を呼び起こしたから――耕作の生家が経営する借家の住人に貧しい伝便屋がいて、その娘が初恋の相手だったから――でした。

そんなわけで耕作は鷗外に興味を持つようになります。そして、鷗外の小倉時代の資料が散逸していることを知るや、幻の「小倉日記」を自らの手で復元しようと、関係者を頼って聞き込みを行いました。しかし耕作は少しずつ衰え、「小倉日記」の完成を目前に、昭和25年の暮れに没します。

その翌年、東京で鷗外の「小倉日記」が発見されました。

〈田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分らない。〉

これが本作の最後の一文です。

■不幸か幸福か

本作の大半は、「小倉日記」復元のために耕作が奔走するシーンで占められています。鷗外に少しでもつながっていそうな人がいれば訪ねていき、ヒアリングを重ねるという、地道な作業の繰り返しです。

そんな耕作の最大の理解者が、母のふじでした。耕作は一人っ子で、父は耕作が10歳のときに亡くなり、そのあとは母子の2人暮らし。頭脳明晰ながら麻痺のため周囲から蔑視される耕作の姿に、ふじは本人以上に歯がゆい思いをしていたはずです。だから「小倉日記の復元」という目標ができるや、ふじは全力で応援することを決めたのです。

こうして二人三脚で始まった「小倉日記」復元が志半ばで終わってしまったことは、先ほど書いたとおりです。そして、〆の一文。

〈田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分らない。〉

これに対して、「不幸だった」と思った方は、本日の参加者中1名、「幸福だった」は4名でした。

不幸派の意見は、

「「小倉日記」にのめり込むことが耕作の楽しみだった。見つかったら、その楽しみは奪われるが、答え合わせをする機会をもてなかったことは不幸だと思う」

幸福派はおおむね、

「人生のすべてを賭けたものが、あっさり出てきたなんてことを知らずに死ねたのだから当然、幸福だろう」

というものでしたが、

「本人の幸福と、周囲が思う幸福は違う」

という意見や、

「幸福だったとは思うが、そもそもサイコサスペンスとしてしか読めなかった」

「執着の仕方がすごい。『点と線』もそうだが、一つのことに執着するだけの人を描いて、こんなに面白くなるとは」

など、松本清張の筆力に脱帽するという意見も出ました。

■耕作

ここまでご説明のとおり本作は、「小倉日記」に執着する耕作を狂人的に描いた作品です。読書会では、好きなことだけをしていく人生を歩んだ耕作は、そもそもにおいて幸せ者だったという見方が多数でした。麻痺で体が思うように動かなくても、母のふじ、友人の江南などいい人にも巡り合えたし、何より「生きがい」をもてた人生が、多くの人の心を打ったのでしょう。

肝心の耕作の内面については「わかりにくい」という声もありましたが、江南と出会った直後に、わずかに本音をにおわせる記述があります。

〈江南にも分かっていない。耕作が自分の身体に絶望してどのように煩悶しているかは、他人には分からないのだ。〉

「小倉日記」から切り離すことで、耕作の本当の姿が見えてくるのかもしれません。

■江南

その江南ですが、絵に描いたような好青年で、まったく非の打ちどころがありません。

「本人がいなくても耕作をかばうところに、性格のよさが現れている」という指摘もありました。

それがこのくだり。

〈「江南君、ありゃ痴呆(ばか)かい?」

 と耕作が帰ったあと、誰でもにやにやとしてきいた。

 何をいう、あれで君達よりましだぞ、と江南は反撥して答える。〉

本作は、全篇が「耕作による「小倉日記」追求記」といった感じなので、こうした心理描写はとても貴重だと思います。

■ふじ

母のふじに関しては、

「息子が好きすぎて、ついには一体化してしまった。それが怖い」と、耕作の執着心とは別の意味で恐怖を感じる声がありました。

ふじは常に耕作を励まし、何かとあれば本人以上に喜びます。たとえば、鷗外研究の第一人者である「K」から連絡がきたときには、

〈文面をくり返して読めばよむほど、歓喜は増した。

「よかった。耕ちゃん、よかったねえ」

 とふじは声をはずませた。母子は顔を見合ったまま、涙ぐんだ。これで、耕作の人生に希望がさしたかと思うと、ふじはうれしさをどう表しようもなかった。〉

読者にも涙をさそうくだりですね。

■詩人K

その「K」が、未知の男(耕作)から手紙を受け取る場面で、本作は幕を開けます。この書き出しのため「主人公はKなのだな」と思いきや、彼の視点で語られるのは冒頭の第1節のみ。そこから先は、最終第11節まですべて耕作の視点で語られます。

このように、周辺人物の視点で物語をスタートするのが、清張流なのだそうです。本作は現在、新潮文庫と角川文庫の短篇集で読むことができますが、いずれの短篇集にも、似た構造の作品が収録されているとのことでした。

■てる子

耕作が通う白川病院の新人看護師が、てる子です。てる子は「小倉日記」を追う耕作に関心を抱き、その手伝いをするようにもなります。ふじはいきおい、「耕作の嫁に!」と話を持ちかけますが、

〈いやね小母さん、本気でそんなことを考えていたの〉

と一蹴されてしまいました。

しかしてる子に対しては、多くの方が「嫌な印象はない」と話していました。これに関しては、

「てる子は若すぎて、本気で恋をしたこともなければ、結婚について考えたこともなかったのだろう。むしろ、そんな小娘に本気になってしまうふじのほうが問題」

と、厳しい指摘が入りました。

■その後のふじ

読書会では「耕作亡きあと、熊本の親戚に引き取られたふじが心配」という声が多数あがりました。

「きっと冷や飯を食わされたんだろうな……」

「引き取られるときの描写が〈遺骨と風呂敷包みの草稿とが、彼女の大切な荷物だった〉というもので、あまりにも悲しすぎる」

「唯一の生きがいだった耕作に先立たれてしまって、何をする気も起きないだろう」

といった感じでした。

「小倉日記」の創作に生涯をささげた耕作は幸せ者だったかもしれないけれども、あとに残され、「耕作のサポーター」という生きがいを失ったふじは、必ずしも幸福とはいえないようです。

■枯渋の文学

最後に、本作の影の主人公ともいえる森鷗外にも言及しましょう。耕作は、鷗外の「独身」における伝便の記述から鷗外に関心をもちますが、その文体にも惹かれていました。

〈耕作が鷗外のものに親しむようになったのは、こういうことを懐かしんだのが始まりだったが、鷗外の枯渋な文章は耕作の孤独な心に応えるものがあったのであろう。〉

「枯渋な文章」というのがいいですね。それとの対比によって、耕作の内面の孤独さがいっそう際立ちます。

読書会では「それにしても、『枯渋』ってどんなの?」という声もあがりました。本日のご参加者は、鷗外に対しては総じて覚めていて、「読んだのは『舞姫』だけで、内容がクソだったということしか覚えていない」という声もあがるほど。

そのほかの代表作として『雁』『ヰタ・セクスアリス』『山椒大夫』『高瀬舟』『阿部一族』などがあがりましたが、この中では『高瀬舟』について「当時珍しい、安楽死をテーマにした作品とも読める」という話になりました。

こんど森鷗外を課題にしてみますかね~。

2018.11.21開催、12.6記

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