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第96回 東京小説読書会の報告


こんにちは!SHOKOです。2018年9月28日、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第7回目として、アゴタ・クリストフ著(堀茂樹訳)「第三の嘘」を課題本に読書会を行いました。「悪童日記」「ふたりの証拠」に続くシリーズ最終巻は、初参加の方3名を含む8名で物語の核心に迫りました! 以下、重大なネタバレを含みます。 「第三の嘘」は、ハンガリーに生まれ、ハンガリー動乱の際に西側に亡命、その後スイスに暮らした作家・アゴタ・クリストフの作品で、処女作「悪童日記」の主人公たちのその後の物語です。前作、「ふたりの証拠」のラストで、「悪童日記」で亡命した双子の片割れクラウス(「ふたりの証拠」ではそう名乗ってました)が祖国に戻った後の物語です。生き別れになっていた双子が再会したとき、何が明らかになるのでしょうか?「第三の嘘」は、語り手が異なる2部構成となっています。1部は、亡命後、帰国した人物によって語られ、2部は祖国に残っていた人物によって語られます。

■「第三の嘘」とは? ここまで読むと、「悪童日記」=「第一の嘘」、「ふたりの証拠」=「第二の嘘」という構造だったんだな、ということがわかります。ちなみに、3巻の人気投票を行ったところ、1位「悪童日記」、2位「ふたりの証拠」、3位「第三の嘘」という“やはり”の結果になりました。「悪童日記」にあったカタルシスがなくなるのは展開として当然のことですが、3巻からは、ややノンフィクションにも似たトーンに変わるため、物語として1,2巻の面白さが際立つ印象を受けます。とはいえ、この3巻、「読んでいたら何が本当かわからなくて怖くなった」、妄想と現実の区別がつかなくなるような展開に混乱する方が少なくなかったようです。主人公の夢として突如あらわれる断片的なイメージに惑わされることしばしば…(正しく読み取るのが難しかったです)。ちなみに、このイメージは、作者のエッセイ作品でよく描かれるモチーフらしいです。 はじめから想定されていた続編ではなかったため、「悪童日記」をアウトラインとして、パラレルワールド的な物語を用意したのでは?というご意見があり、なんとなく納得してしまいました。さらに、1,2巻では戦争や政治などの社会情勢が登場人物たちの運命に大きく影響をおよぼしていた印象だったのですが、3巻からは、むしろファミリーヒストリー的な要素が強くみられます。実は、すべては狭い世界の中から起こっていたことだったのか、もしかしたらここで語られていることも全部夢(妄想、嘘)なのかもしれない…、と読み終えてさらに混沌としてしまうのでした(うーむ)。

■何が真実なのか? ずっと引きずっていた「本当に双子なの?」という疑問がありましたが、実はそのことはさほど重要なファクターではないというご意見がありました。いわく、一つの対象に対していろいろな人の話を聞いていくと、矛盾が生じることがわかり、それは、それぞれの主観でどう見えていたのかということを意味するので、物事は誰にとっての真実なのか?と捉えるほかないのだと。「悪童日記」と「ふたりの証拠」はリュカ、もしくはクラウスによって創作されたもの、ということが本篇でわかるのですが、そう考えると、本当のことを書こうとして、どんどん現実から離れていってしまった印象を受けた、という感想もなるほどと思います。さらに、もともと1人だったけれども、生まれ育った町や家族から引き離されたことによって2人になった(現実は違うけれど、家族と一緒にいる自分がどこかにいる、というやはりパラレルワールド)という見解もありました。また、もともとクラウスとリュカの物語だったのが、書いていくうちに徐々に作者(アゴタ)の人生が投影されてしまったのでは、というのもうなずけます。なんとなく、“嘘”というより“矛盾”や“ギャップ”という表現のほうがしっくりくるような気がしてきました。

■クラウスとリュカ どっちがどっちか混同してしまったのは私だけでしょうか…?「ふたりの証拠」では、リュカは祖国に残り、クラウスが国境を越えましたよね?ところが、「第三の嘘」で、それが逆だったことがわかります。二人が幼い(4歳)のころ、母親が父親を銃殺したことから、家族がバラバラになってしまい、リュカは流れ弾で傷を負い施設に入ります。そして、戦争で施設が爆撃を受け疎開、そのまま国境を越え、亡命先で“クラウス”と名乗り、以降クラウスとして生きてきます。祖国に残ったクラウスはCLAUSではなく“KLAUS”と名乗ります。二人とも偽名なのです。なぜ、“K”と頭文字を変更したんだろう?と思ったのですが、探されないためでは?というご意見が。探すとしたら生き別れになっている兄弟しか考え付かないのですが、会いたいはずの相手なのになぜ?と不思議でした。そこで“他人のなりすまし説”が浮上!個人的には、施設にいた寝たきりの金髪の男の子の存在が気になったのですが、、あまり賛同を得られませんでした…。双子なのに、それほど見た目が似ていないことも“なりすまし説”の有力な根拠として盛り上がりました。クラウスがリュカとの再会を拒絶するところに、それまでの言動や暮らしぶりからみて矛盾や歪みを感じてしまうのでした。 結局、リュカは列車に飛び込み自殺し、父親の眠る祖国の墓に埋葬され、その墓前でクラウスが“列車か。いい考えだな。”というところで物語は完結します。もしかしたら、今度はクラウスがリュカ(亡命先ではクラウス)になりすまして別の人生を歩もうと考えたのか、それとも自分も自殺しようと思ったのか…。

■「悪童日記」「ふたりの証拠」が何を意味していたのか リュカとクラウスの共作という意見がほとんどでした。ここまで読んで考察すると、「そういえば」的な設定が随所に見られます。「ふたりの証拠」のマティアスは、およそ7歳児らしからぬふるまいが印象的でしたが、それは二人に子供がいないことと、リュカの片足が不自由だった子供時代の影響があるのではというご意見がありました。さらに、「悪童日記」のおばあちゃんが夫を毒殺したという設定と、自分たちの母親が父親を銃殺したというところが重なり、生活能力が低かった実際の母親をたくましいおばあちゃんに置き換えて、こうあってほしい姿として描いたのかもしれません。また、近親相姦をおかすヤスミーヌに、クラウスがサラと果たしたかった願望をうつしたのかもetc.、亡命した人物が“もし亡命しなかったら”の物語を書いたという説もあり、やはりもう一度1巻から読み直してみるべきか…!

■アゴタ・クリストフと祖国 本編で帰国するリュカは、アゴタ・クリストフそのものなのではないかというご意見がありました。確かに、家族全員が同じところに埋葬されるという含みをもたせたラストに作者自身の思いが伺えるようです。個人的に気になったのは、3部作の中で20代から50代の物語が抜けているのはなぜなんだろう?ということでしたが、それは、ハンガリーで暮らしていた時代と小説を書いていた時代だけを描いているから、ということでした。それだけで祖国、“書くこと”とそれ以外の30年あまりの人生に対する彼女の中での思いの格差を見るようです。間が抜けているのではなく、むしろ(二人の)“終わり”を書きたかったのでは、という声にハッとさせられました。

途中、主人公が常にネガティブなチョイスをすることに、キラキラを盛るのではなく悲劇性を盛るというのが文学的!インスタの対局が文学なのかもね!と新たな発見(?)で軽く盛り上がったりしました。が、最後は謎がさらなる謎を呼び収拾できずに終わってしまった印象があります。(すみません)、、それでも参加者のみなさんが楽しんでいただけたようで何よりでした。ありがとうございました!

次回から、読書会の鬼門(?)村上春樹作品に迫ります。生ぬるく見守ってくださいませ。 Au revoir!

2018.9.28開催、10.01記

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