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第91回 東京小説読書会の報告


こんにちは! SHOKOです。 2018年8月31日、東京小説読書会「長篇(シリーズ)読破版」の第6回目として、アゴタ・クリストフ著(堀茂樹訳)「ふたりの証拠」を課題本に読書会を行いました。前回の「悪童日記」に続いて本シリーズ2回目となります。次回の「第三の嘘」で完結の予定です。

以下、重大なネタバレを含みます。

「ふたりの証拠」は、ハンガリーに生まれ、フランスに亡命した作家アゴタ・クリストフの作品で、処女作「悪童日記」のその後の物語です。「悪童日記」では主人公である「ぼくら」が、過酷な戦時下を痛快に生き抜くのですが、その最後に一人が国境を越え、一人は「おばあちゃん」の家に戻ります。「ふたりの証拠」は、「おばあちゃん」の家に戻ったリュカ(LUCAS)を中心に物語が展開していきます。前作の一人称から、三人称に文体が変わり、さらに登場人物の名前が明らかになり、ガラっと印象の変わる第二弾に、皆さんはどんな印象を受けたのでしょうか?

■「ふたりの証拠」≧「悪童日記」(?)

本読書会を開催する以前、「2部、3部はちょっと・・・」という感想をよく聞いていたので、果たしてどうなのか? とドキドキしていたのですが、今回の参加者のほとんどが「面白かった!」とやや興奮気味に語り、また私自身も、がっかりするどころかむしろさらに面白くなっているという印象を受けました。「1部の100倍」「面白さの2剰になっている」「混沌とした世界観の余韻が残る」等、おおむね高評価でした。 「1部が好きだけれども、本作からテーマが明確に見えてきた」「シリーズを読み進めることで、前作がさらに面白くなっている」という一方、「1部のユニークな表現方法が2部ではそれほど活かされていない印象を受けた」というご意見もあり、おそらく1部で衝撃を受けた!という方にとって、確かに2部は「ちょっと違う」と思われるのもわかります。さらに今回初参加の方から、「最初に2部を読んで、そのあとで1部を読んだ」という読書体験を聞いて、1部を読んだ後には真似できないので羨ましく思ったのでした。

■多士済々な登場人物

名前のなかった登場人物たちに2部からは名前が与えられます。やはり、名前がもたらす印象は少なからずありますね。なんといっても双子の名前(リュカ=LUCAS、クラウス=CLAUS)がアナグラムになっているのが意味深です。リュカは、1部に比べて“フラフラ”した奴になっちゃったな、というご意見がありました。確かに「ぼくら」でいた頃は全く“揺れ”なかったのに、今回はわりと挙動が不審な印象を受けますね。名前が明らかになったことで「(その人物として)考えがわからない」という輪郭が見えはじめたのかもしれません。

そんな、リュカをめぐって多くの人物が登場します。恒例の人気投票の結果は、ダントツでリュカが1位だったのですが、地味にミカエル(不眠症の人です)、ペテールも票を集めています。リュカの最高のパトロンと言えるペテールについては、「とにかくいい奴だ!」というのが読書会での評判でした。また、ミカエルは、悲しい過去を背負った人なのですが、登場する場面や台詞から、物語における“救い”のような存在に見えます。 「人生というのはそういうふうにできているんだ。すべてが、時とともに消えていく。記憶は薄れ、苦しみは減少する。」とリュカに語る場面は、タイトルである“証拠”に相反するものの、人生についての訓示として印象的でした。また、人気はいまひとつですが、本屋のヴィクトールは、物語のテーマに大きな関わりを持つ重要人物だと、参加者の見解が一致しました。そんな男性陣に比べて、女性陣の描かれ方がシビア(酷い)というご意見が、、(確かに!)。

■マティアスという存在

登場人物について話し合うなかで、一番盛り上がりを見せたのが“マティアス”についてでした。なんといってもその天才ぶりは恐ろしいものがあります。(現代の日本で例えると)保育園にあがる前の幼児のはずなのに、リュカと対等に会話し、リュカすら警戒する存在。身体が不具なことでかえって、全能的な存在に見えるというご意見を伺いました。リュカがなぜあんなにもマティアスに執着していたのかがわからないという疑問を持ったのですが、 「(1部における双子の学習意欲の高さから察して)育てるという経験をしたかったのではないか」 「(離れてしまった)兄弟の分身としてみていたのではないか」 「(マティアスを)守っている自分に酔っていた」等々、様々な見解を伺いました。 そのマティアスは7歳で自殺します。個人的には「そんな子供が自殺するということが不可解!」と思っていたのですが、「それは予測できた」というご意見(と自分の読解力の浅さ)に愕然としました…。 さらにマティアスが、リュカの日記を読んだよ、と告白する場面で「リュカがマティアスを殺すと思ってドキドキした」という感想が複数あがり、スルっと読み飛ばしてた自分が恥ずかしくなりました…。また、「会話以外のところでマティアスは名前でなく“子供”と書かれている。実際、彼は存在していたのか?」という鋭いご意見にも「ハッ」っとさせられました。

■愛するということ

「1部は“正義”について、2部は“愛”についての物語」という見解に「なるほど」と思いました。リュカは「クララを愛しているのか?」とペテールに尋ねられ、「ぼくはその言葉の意味を知りません。」と答えます。「ぼくは彼女の愛人です」と言うのは、どことなく関係性に対して受け身な印象ですが、リュカはクララを愛していたと、今回の参加者の多くが感じたようです。 なぜ?という問いには、「母親に似ていたから」「“本”目当てだった」等。さらに、この場面に「唯一リュカが動揺しているところだ!」との意見があり、そういう見方をすれば、確かに“愛”はあったと言えそうです。愛する対象の共通点として、“歪んでいる”“喪失を抱えている”、(自分と同様に)何かを失った人に惹かれている印象があります。マティアスに対しては、半ば愛憎に近い感情を感じるのですが、最終的に彼を失うことで、“愛”の対象を失った悲しみを知る、というのが2部の流れなのかもしれません。1部の最後に“精神”としてクラウスを失い、今回“肉体”としてマティアスも失うという構成はわかりやすい気がします。

■“書く”ということ

なんといっても、参加者全員の心に響いたのが「すべての人間は一冊の本を書くために生まれたのであって、ほかにどんな目的もないんだ」、作者がヴィクトールに自分自身を投影して語らせているようです。姉を殺してまで本を書いたヴィクトール、クラウスに読ませるためにずっと日記を書き続けていたリュカ、日記を書きあげて自殺したマティアス。この物語で“書く”という行為は非常に重要な意味を持つようです。マティアスが学校でいじめられていることを知ったリュカが、辛いことを誰にも話したくないときは書くといいと諭すのに、マティアスが「ぼくはもう書いたよ。なにもかも書いたんだ。」と宣言したとき、この物語における“書く”という行為の意味から、「あ、もう(自分の物語を書き上げた)マティアスは死ぬ」と察したと指摘されて、自殺を唐突なものに感じていた私はただただ感心してしまいました。

■“証拠”とは?

一般的な正史は“公的な記録”です。では、“公的”に記録されていないことは果たして起こらなかったのでしょうか? 公的に記録されたものだけが歴史の証拠なのでしょうか? “公式”の記録に残らないと存在したことにならないのでしょうか? 人が生きた“証拠”のために“書く”事柄はそもそも個人の中に存在し、実際起こったかどうかは重要ではないのではないのかもしれないetc、この物語を読み進めることで様々な思いが沸き起こるのでした。

リュカが失踪して20年がたった小さな街にクラウスが戻ってきます。そして、最後の最後に“公的な記録”が引用され、物語のトーンがガラリと変わってきます。1部で自我を共有した「ぼくら」が分離し、年月を重ね一体どうなってしまうのでしょう。

今回も参加者のみなさんの深い考察に気づかされることが多い読書会となりました。ありがとうございました!次回はいよいよ、「悪童日記」「ふたりの証拠」と続いた物語の謎に肉薄する「第三の嘘」です。

Au revoir!

2018.8.31開催、9.2記

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