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第90回 東京小説読書会の報告


2018年8月15日、ダニエル・デフォー著『ロビンソン・クルーソー 第一部』(ロビンソン漂流記)を課題本に読書会を開催しました。「8月だから夏休みの課題図書っぽいものを」と、私ことuranoが独断で選んだのですが、いやはや、あらゆる点で想像のはるか上をいく作品でした。

特に、児童文学として親しんだ方からは、「有色人種蔑視があまりにもひどくて、子どものころに読んだイメージが崩れた。読まなければよかった」というコメントが飛び出すほど! 今回の読書会も、波乱の幕開けとなりました。

■人種差別のこと

本作は1719年の発行です。来年で300年! 著者は英国人ですから、当時の英国の価値観が全面に表れています。なかでも「今だったら発禁モノ」との声が集中したのが、人種差別表現です。

〈彼は感じのいい、顔立ちの立派な男であった。-略- 皮膚の色はまっ黒というわけではなくむしろ濃い黄褐色であったが、だからといってブラジル人やヴァージニア人、その他のアメリカの土人たちによくみかける、黄色がかった気持の悪くなるような黄褐色ともちがっていた。〉(p.358-359、岩波文庫・上巻、2012年改版)

無人島で初めて得た友、フライデイの第一印象ですが、すごいですよねー。私は「当時の英国の価値観を知る貴重な資料だ」と読みましたが、「ロビンソンに幻滅した」と話す方もいらっしゃいました。

■カニバリズム(食人)のこと

さて、これらロビンソンが見下す蛮人は、食人種族として描かれています。ロビンソンは流れ着いた島のはるか向こうに、大陸の山影を目撃します。しかし、「かりにそこへ辿り着けたとしても、今度は食人種族に襲われるだけだ」との思いから、島にとどまることを選択します。

「そもそもカリブ海に食人の習慣はあったんだっけ? 太平洋にはあったらしいけど」

「それにしても、捕虜を囲んで大宴会というのは、やりすぎではないか?」

といった疑問の声もあがりましたが、本作はデフォーが数々の船乗りの話や漂流記録をもとにした創作だそうですから、いろんな逸話がごっちゃになっているのでしょうね。

※読書会のあとで調べてみたら、ラテンアメリカの先住民には、捕虜を囲んでむしゃむしゃと味わう食人の習慣があったらしいです。

■スペインのこと

ロビンソンは蛮族だけでなく、当時のラテンアメリカの支配者たるスペインも見下しています。

〈スペイン人といえば、人間の、またキリスト教の愛のなにものたるかをわきまえたすべての人々にとってはただちに恐るべき残虐な人間を意味する〉(p.303、同)

これには「英国とスペインは16世紀以来、制海権を争っていたからねー」という感想も。英国に先立って新世界に乗り出したスペインが、いかなる悪事をはたらいたのかを記述することで、読者の溜飲を下げる目的もあったのでしょう。

また、「巻頭で兄がスペインとの戦争で戦死したという描写があった。そのことも関係しているのでは」というご指摘もありました。さすが皆さん、読み込んでいらっしゃいます!

■宗教のこと

ロビンソンのスペイン蔑視は、言い換えれば「カトリック蔑視」でもあります。英国はプロテスタントですからね。しかし、ロビンソンはもともと信仰心のカケラも持っていませんでした。それが、漂流生活を始めるにあたり、難破船から持ち出した『聖書』に親しむうち、神なる存在を感じずにはいられなくなります。そうして、生まれて初めて神に祈ったり、神の御言葉に励まされたりしていきます。

挙句の果てには、蛮族の捕虜から助け出したフライデイに神の存在を解き、いっぱしの宣教師ぶるのです。これには驚きました。

参加者からも「こんなに宗教色の強い作品だとは思わなかった。改めて読んでみれば、冒頭がロビンソンの家系の話から始まっていて、聖書を意識したのかもしれない」という声が聞かれました。

また、「漂流生活のなかで悔い改め、決して堕落することなく自律し、最後は蛮族に布教活動をしてしまうロビンソンの生きざま自体が、理想的なプロテスタント像なのだろう」という指摘ありました。

■後日談のこと

漂着の28年後、ロビンソンは偶然に立ち寄った帆船に救われ、英国へ帰還を果たしました。めでたし、めでたし、と思いきや、このあとさらに50ページほど物語は続きます。ブラジルに残した農園の情報を得るためリスボンに行って(※ロビンソンは無人島に漂着する前、ブラジルで数年を過ごしています)、7カ月滞在してブラジルからの返信を待ち、今度は陸路、ドーバー海峡まで帰ります。

「絵に描いたような蛇足」とは、私の弁。帰途ピレネー山中で300匹のオオカミに囲まれるのが、本作最後の冒険なのですが、「盛りすぎ。せいぜい30匹にしておいて」との声も飛び出しました。

■児童文学との違い

さて、ここまでに書いた「人種差別」「カニバリズム」「スペインディスり」「フライデイへの布教」「後日談」などは、『児童文学版ロビンソン・クルーソー』には登場しないそうです。それどころか、児童文学版での漂流生活は4~5年で、「28年も島で生活していたとは!」という声もあがりました。

その児童文学版でフォーカスされている漂流生活の部分については、突っ込みどころが満載でした。「火はどうやって起こしたの?」「パンはどうやって発酵させたの?」といったものから、「蛮族がひんぱんに上陸していたという設定なら、なぜ、もっと早く蛮族と接触しなかったのだ!?」「ロビンソンが偶然流されたということは、この島は潮流の上にあるということ。そのくせ28年もヨーロッパ船が通らないなんて、あり得ない!」などなど。 その一方で、ウミガメの味や、ヤギの家畜化、住まいの要塞化などは事細かく描写されていて、「男性作家だからかなー」という声も。「男が憧れる“一人きりの時間”や“キャンプ生活”などが思う存分書かれていて、男性が読むと楽しめるけれど、女性はそれほどピンとこないかも」という感想もありました。

■ご都合主義 数々のツッコミの中でも多かったのが「ご都合主義だ」というものです。「28年も発見されない」というもののほか、「偶然、小麦が芽吹く」「そのことに気づいて農耕をはじめると、凶作知らずですくすく育つ」「命にかかわるような病気も、ケガもしない」「フライデイが物分かり良すぎ」……。あげていけば切りがありません。 しかし私は、デフォーの肩をもつわけではありませんが、300年前の小説であることを考えれば完成度はきわめて高く、ツッコミどころはむしろ少ないと思いました。まず、この島は周囲を遠浅の岩礁に囲まれているという設定で、そもそも寄港地ではないし、航路上に位置していたかも怪しいのです。(作中、大形の難破船が1隻漂着しますが……)。 病気に関しては一応、上陸1年目で1カ月ほど熱にうなされる描写があります。ケガについても、自分の置かれた状況を把握し、自律した生活を送るロビンソンの性格を考えれば、丸木舟を切り出す際にも、慎重に慎重を重ねたのでしょう。 ただ、物語の後半で重要な役割を演じるフライデイが、ロビンソンに従順すぎるのは、ちょっとやりすぎかなぁという気はしましたが……。

■第二部を読むか

『ロビンソン・クルーソー』は全二部構成です。今回課題にしたのは第一部で、「漂流記」としておなじみの部分。一般に『ロビンソン・クルーソーの生涯と冒険』と呼ばれています。第二部『ロビンソン・クルーソーのその後の冒険』は、その名の通り英国に帰還したのち、再び船旅に出かけるという筋なのですが、ほとんどの参加者が「読む気がしない」と話していました。(※厳密にいえば、ロビンソンが航海中や漂流生活中に考えたことを記した第三部『ロビンソン・クルーソー反省録』もありますが、こちらはデフォーの省察であって、第一部・第二部とのつながりはありません)

ここは新潮文庫の解説(訳者・吉田健一による)から引きます。

〈(正編と ※引用注)比較して見劣りがするのは、何と言っても、絶海の孤島に漂着して、苦心の結果、そこで人間らしい生活を営んで安住するに至るという、基本的に興味がある条件が、続編に欠けているからではないかと思う。〉(p.436、新潮文庫・2013年改版)

現にロビンソン・クルーソーは、新潮文庫、河出文庫、集英社文庫、中公文庫、光文社古典新訳文庫などから刊行されていますが、どれも第一部のみ。第二部まで訳されていて手軽に読めるのは、いまや岩波文庫版のみです。(岩波は上巻が第一部、下巻が第二部の翻訳)

こうした現実も、第二部への期待感を下げています。当読書会でも、続編として第二部を課題にすることは、おそらくないでしょう。

でも私は、第二部も読んでみるつもりです! そして、いずれは自由プレゼン型の回で紹介したいと思います。どうか、よき続編でありますように!

2018.8.15開催、8.17記

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