第86回 東京小説読書会の報告
2018年6月20日、宮部みゆき著『火車』を課題本に読書会を開催しました。当読書会の課題本(長篇読破編を除く)は、私ことuranoの趣向のせいで、3月以来マニアックな路線を走ってまいりました。しかし「かたよりはよくない。もう一度ポピュラー路線に戻ろう」と、hajimeさんと打ち合わせ、まずは東野圭吾さんか宮部みゆきさんの著作から選ぶことを決定。続いて『白夜行』『流星の絆』『火車』『理由』など数冊の候補をあげ、最終的にノリで『火車』に決定しました。
本書について語ること――。それはほぼ、オチについて語ることと同義です。本報告も、大胆なネタバレから始めなくてはなりません。まずはその点ご了承いただきますよう、お願いいたします。
※※※以下、ネタバレを含みます※※※
本書には「関根彰子」という人物が2人登場します。1人は本物、もう1人はニセ物で実名を新庄喬子といいます。本書ではニセ彰子(喬子)が失踪するところから始まります。彼女を追うのが休職中の刑事・本間俊介。本間は、亡妻のいとこの子で、ニセ彰子の婚約者だという和也の依頼を受けて捜査に乗り出します(休職中なので、あくまでも個人的な関心として捜査します)。
捜査の過程で本間は、彼女とは別に本物の「関根彰子」がいるらしいと気づきます。そして、本物の彰子はニセ彰子に殺されているらしいこと、ニセ彰子は実名を新庄喬子ということ、喬子はカード破産をしていて、それから逃れるために彰子を殺して戸籍を乗っ取ったこと、しかし乗っ取り先の彰子もカード破産をしていたことなどが明らかになっていきます。
■オチに賛成? 反対? 本書の結末は大いに物議を醸すものとなっています。戸籍の乗っ取りに失敗した喬子が、第二の標的として木村こずえなる人物と会う約束を取りつけ、銀座のイタリアン・レストランを訪れる。そこには本間と、協力者である彰子(本物)の幼なじみの本多保が張っている。喬子が姿を現し、こずえとともにメニューを開いて談笑する。そこへ保が近づいていき――、
〈その肩に今、保が手を置く。〉 という一文で締めくくられています。つまり、いよいよ真犯人登場! という場面で物語が終わってしまうのです。
「やっと犯人の顔が見られる。声が聞ける!」という、一番いいシーンが始まるかと思いきや、そこで話を終わらせてしまう大胆さを良しと捉えるか。それとも「続きを書けよ!」と思うか。参加者に賛否を問うと、賛成が5票、反対が3票でした。
あなたはどちらでしたか?
■異色づくしのミステリ 本書で喬子(ニセ彰子)が登場するのはラストシーンのみです。しかも上述のとおり、一言も発せずに物語は完結します。
彰子については、遺体すらあがってきません。主人公の本間の視点に立つと、2人の彰子は、周辺人物から聞き出した情報としてしか存在しないのです。まさに犯人不在、被害者不在のミステリです。
これについて「死体が出てこないことに違和感があった」という感想も聞かれましたが、「喬子がカードローンから逃れるために彰子を殺して戸籍を乗っ取った」という展開じたい、あくまでも本間の仮説にすぎません。もちろん、限りなく100%当たっているだろう仮説なのですが、喬子の供述をまるまるカットしているため、壮大な叙述トリックではないかという錯覚すら感じてしまうのです。この点においても、本書は異色のミステリといえます。
また、本書の初版は1992年(平成4年)であり、「この時代、女性を犯人にするミステリは少なかったと思う。その点でも異色ではないか。小説の中でも女性進出が始まった、初期の作品だった」という声もありました。
ほかにも、 「カードローンをテーマにしているところがおもしろい。トリックを味わうミステリではなく、動機に時代背景が投影されていて、経済小説としても読める」 「この小説が出たころは、『女性は嫁いで主婦になる』という考えが徐々に崩れていった時代だと思う。喬子は、平成時代に一般化した自立した女性そのものだ」 など、時代を拓いた新しい小説という印象を持たれた方が多かったようです。
■突っ込みどころ その一方で、突っ込みどころもたくさんありました。 特にミステリの展開に関する指摘が多く、 「話がうまく展開しすぎる。この手のミステリは、途中で、それまでの捜査が水泡に帰すような場面があるものだが、本間の捜査は終始順調で物足りなかった」 「喬子は不遇だったためにカード破産をしてしまった。周辺人物への聞き込みからも、根はいい人物だということが伝わってくる。だからこそ、『自分が生き延びたいがためにバラバラ殺人を犯すものだろうか』と、違和感があった」 といった意見が出ました。
細かいところでは、 「いつの間に本間の脚、治っていたの?」 というものも。
個人的には、そもそも本間が捜査に乗り出す動機がよく分かりませんでした。休職中に聞いた遠い親戚の悩み相談で、ここまで足を棒にして真相究明に乗り出すものかなぁ、と。 でもそれが、刑事の本能なのかもしれません。
■カードローンの話 宮部さんがカードローンの功罪を問うために本書を著したのは、ほぼ間違いないことでしょう。というのも、本書で最もアツいと感じられたのが、カードローンの問題点を溝口弁護士が本間に語る場面だからです。
口上の冒頭、クレジットカードとは何たるものかを懇切丁寧に語るシーンには、さすが四半世紀前の小説だなと歴史を感じますが、それはさておき溝口弁護士のセリフにこんなのがあります。
〈私は、消費者信用などなかった昔に戻れと言っているわけじゃないんです。-略- これはもう、わが国の経済を支える柱の一本なのだから。私が言いたいのは、この柱のために、毎年何万人もの人柱を立てるような馬鹿な真似は、もういい加減にやめたらどうだということなんです。自殺したり、一家心中したり、夜逃げしたり、犯罪に走って他者を巻き込む悲劇を起こすところまで追い込まれる、多重債務者という人柱をね〉(新潮文庫平成24年改版・220~221ページ)
クレジットカードは必要悪なのか。 いや、そもそも必要なだけであって「悪」ではないのか。 そんなことを考えさせられるシーンです。
本日のご参加者の中には、「高校の放送部の朗読課題が『火車』だった」という方もいらっしゃいました。これには一同「ミステリが朗読課題に!?」と驚きましたが、冷静に考えれば、ミステリでありながら朗読課題になり得る、たぐいまれな小説ではないかと思い至りました。この点でも本作は異色だと思います。
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ミステリは小説の一大ジャンルですから、自由プレゼン型の読書会でもよく取り上げられますが、ネタバレしないように語るのは至難の業です。その点、課題図書として読めば、ネタバレを気にすることなく感想をシェアできます。まさにミステリこそ課題図書の華なのですね! 今度は「どこを切り取ってもネタバレになる」という、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』でもやってみようかな~。
2018.6.20開催、11.26記