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第76回 東京小説読書会の報告


3月のはじめごろのことでした。地下鉄南北線に乗っていると、推定年齢27歳の素敵女子が川端康成の『山の音』を読んでいて、「文学はいまだ死なず!」という思いを新たにしたことがありました(本件はtwitterでも発信しましたが……)

その翌日、今度は地下鉄有楽町線で、推定年齢54歳の紳士が水上勉の『櫻守』を読んでいるのをお見かけしました。私ことUranoはつねづね「4月の課題図書は桜モノにしたい」と思っていたので、「よし! これにしよう!」とHajimeさんに提案。すると相変わらずの即決により、次の瞬間に課題図書として決まっていました。

そうした経緯により、2018年4月18日、水上勉『櫻守』(新潮文庫)による読書会を開催いたしました。

ご参加は初参加3名を含め8名でした。

いつもありがとうございます。

■「櫻守」のこと

新潮文庫『櫻守』には「櫻守」と「凩(こがらし)」が収められています。表題作の「櫻守」は、14歳で植木屋に奉公に出て、次第に桜に惹かれていき、桜の研究家である竹部に弟子入りをし、しまいには全国の桜を訪ね歩き「桜日記」をつけるまでになる弥吉の一代記です。

冒頭で、幼き日の弥吉にトラウマを残した出来事――祖父と母の姦淫――が語られます。開始からわずか3ページでの急展開で、「このあと、いったいどんな物語がつむがれてゆくのか!?」と身を乗り出してみたものの、昼ドラ的な展開はここまで。

「これに匹敵する波風は、最後まで立たなかった」というのが全参加者の一致した見解で、中には「桜のために最後は財産を失うのではないかと気をもんだが、そうした事件も起こらなかった」と予測された方もいました。

軽くストーリーをおさらいすると、物語の中盤で弥吉は園と結婚しますが、世は太平洋戦争期で、弥吉は兵役に取られます。しかし最前線でのドンパチはなく、終戦を迎えて帰国。後半では、国土開発にともない竹部の演習林が存続の危機に立たされたり、ダム湖に沈むことになった桜の古木を移植したりしますが、これらの描写もあっさりしていて、「プロジェクトX並みに劇的に描ける題材なのに、なぜ?」というツッコミも。

でも、それが水上勉の真骨頂なのかもしれません。

「よくいえば、ギスギスしていない小説。何より男女関係の描写が顕著だった」という参加者の指摘には、納得しきりでした。

確かに弥吉と園は、絵に描いたような「夫唱婦随」の夫婦。一人息子の槇男も、成長すると「仲間と音楽をするため大学に行きたい」と言い出すものの、弥吉に言いくるめられて目立った抵抗もせず、植木職人の道を歩み始めます。

「妻も息子も、父にしたがう。これが昭和30年代の家族なのだなと思った」

「弥吉と槇男は仕事をしながら、その仕事を好きになっていった。これも昭和的」

といった感想が寄せられました。

さて、その時代性に関しては、

「登場人物は多くはないが、お互いがとても濃密な関係で結ばれている。特に、弥吉と喜七は10代のころに出会っているが、以来、仕事仲間として最後までともに歩み続けられるなんて、いまでは考えられない」

「『大正生まれは損を見る』という話が面白かった。言われてみればそうだが、今では大正生まれも少なくなり、こうした言い方もしないので新たな発見だった」

などという意見もありました。

私も「作品全体が資料であるかのようだった。昭和前期の人々はどのような家庭を築き、仕事にどう向き合ってきたのか。その様子が手に取るように分かった」と感じましたし、

「一つの場所にいて、一つのことに専念できたのも、この時代だからこそ。ある意味では幸せな死を迎えられたと思う。息子の代になると、こうはいかないだろう」という意見には賛同するばかりでした。

ところで、本作は染井吉野を「これでもか」というほどディスった小説として、界隈では知られているようです。これは弥吉の師・竹部(これは実在の人物をモデルにしているそうですが)の意見で、

「竹部にきいてみると、これ(※染井吉野)は日本の桜でも、いちばん堕落した品種で、こんな花は、昔の人はみなかったという。本当の日本の桜というものは、花だけのものではなくて、朱のさした淡(うす)みどりの葉と共に咲く山桜、里桜が最高だった」(P.88~89)

「山桜が正絹やとすると、染井はスフいうとこですな。(略)全国の九割を占めるあの染井をみて、これが日本の桜やと思われるとわたしは心外ですねや」(P.89)

竹部の薫陶を受けた弥吉も、しまいに

「日本の役人さんは、桜を守ること忘れてんねや。桜を植える祭りばっかりに憂身(うきみ)をやつしてる。早いとこ勝負のつく染井吉野を植えて、それで桜植えた顔してる」(P.148)

と言い出します。(ページ数は21刷改版)

しかし現代では、染井吉野なきお花見は考えられないでしょう。竹部や弥吉の論調を支持する声は、本日の読書会では広がりませんでした。

そういえば、登場人物の関西弁が柔らかであることも本作の特徴で、皆さん「こてこての大阪弁とは違った北摂の言葉遣いが耳になじむ」と話されていました。

■「凩」のこと

副題は「宮大工倉持清右衛門の記」。妻(かん)と息子(清)に先立たれ、結婚した娘(めぐみ)から「一緒に住もう」と言われながらも古里にしがみつく宮大工、清右衛門の晩年の物語です。読みどころは清右衛門とめぐみの父娘バトルでしょう。

「櫻守」では弥吉に妻子が最後までついていきますが、「凩」は違います。「凩」では清右衛門が頑固なら、めぐみも負けないほどたくましい女性として描かれています。父のいうことに聞く耳を貸さないどころか、父の説得を試みるのは、本作が「櫻守」よりもあとの時代を舞台にしているせいかもしれません。

それにしても「凩」の清右衛門は、なぜここまで頑固なのでしょう。「歳をとると誰もがこうなる」と言えなくもないですが、「これも一種の職業病では」とも考えられます。

清右衛門は職人です。頼りになるのは自らの技と経験だけ。

「つまり、長生きしたもの勝ちになる。経験にすがらざるを得ない職業ゆえ、清右衛門は頑なになってしまうのではないか」というのが、職業病説の根拠です。

また、「凩」には「櫻守」にはないドラマチックさがあり、

「サクサク読めた。早い人なら1時間で読める」

「お坊さんがカネに汚い設定とか、新宗教の批判とか、ちょっとした毒も盛り込まれていて、面白かった」

「清右衛門とめぐみ・達之の娘夫婦との関係にドラマがあった。そして最後まで読んでも、達之が善人なのか悪人なのか判断しかねた」

といった感想で盛り上がりました。

ジャンルでいうと、本作は老成小説(青春小説に対比して)といえるでしょうが、読書会が進むにつれ、清右衛門の意固地さとエロさが集中砲火を浴びることになってしまいました。

「終始、清右衛門のtwitterが続くような印象だった。しかも、そのつぶやきの内容がかたよっている」

「特に娘を見る目がエロい」

「でも、それは今のジジイも変わらないかも」

などなど、しまいにはジジイ呼ばわれされるありさまでしたが、ジジイモノの金字塔たる谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」にはない安心感のある筆致は、やはり水上勉の真骨頂と言えましょう。

■『櫻守』のこと

新潮文庫が「櫻守」と「凩」をカップリングしたことについて、読書会では以下のような解釈がありました。

・「櫻守」は太く短い男の一生を、すべて書き切った感がある。対して「凩」は老い先の短い老宮大工の、その瞬間だけを切り取っている。

・「櫻守」では主人公が多くのことをやり残したまま、40代の若さで死んでいく。一方の「凩」は主人公が「自分の余命はいくばくもない」と言いながら最後まで元気。この対比が面白かった。

・「櫻守」は静かで純文学的な作品。会話もあまり印象には残らない。「凩」はエンターテインメントの要素が多く、自分が老害といわれるようになったら共感できるのだろうなぁ、と思いながら読んだ。

ちなみに私は、ここだけの話、「凩」は読まずに読書会に臨んでしまいました。

したがって「櫻守」は春、「凩」は秋。半年後には「凩」を課題本にするのもいいだろう――などという、およそ主催者とは思えない能天気な感想しか持ち合わせていませんでした・・・・・・・。

 ◇

本日もさまざまな意見が飛び交い、あっという間に2時間は終了。

花の季節には「櫻守」です!

未読の方はぜひ、お手にお取りください。

次回の課題図書は長篇読破版の第2回として、『豊饒の海 第二巻』をテーマに行います。

また次回、お会いしましょう。

2018.4.18開催、4.26記

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