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第55回 東京小説読書会の報告


 第55回東京小説読書会は太宰治著「きりぎりす」をテーマに開催しました。「おわかれいたします。」という有名な書き出しで始まり、24歳の女性が旦那に離縁をつきつける書簡体小説です。20ページ足らずの短編ですが、太宰らしさがギュッと詰まっていると思い課題本に選びました。  本作は私ことUranoのお気に入りです。でも、共同主催者のHajimeさんはアンチ太宰。「きりぎりす」については1年近くの説得をへて、本日ようやく開催の運びとなりました。Hajimeさん、ご理解くださりありがとうございました! 〈この絵は、私でなければ、わからないのだと思いました。〉  離縁をつきつけた24歳の「私」は、画家を志す「あなた」の絵を初めて見たときの印象を、こう語ります。出会ったころの「あなた」は貧しく、質素をよしとしていましたが、少しずつ絵が売れるようになると、金遣いが荒くなり、しまいにはまるで成金のようにふんぞり返って毎日を過ごします。「私」はその変貌ぶりに戸惑い、あきれ、ついに離縁を決意するというのが、本作のあらすじです。  本来であれば、「あなた」の成功は喜ぶべきはず。なのになぜ「私」の気持ちは離れてしまったのでしょうか?  その疑問を解くフレーズが、これです。 〈この絵は、私でなければ、わからないのだと思いました。〉  参加者の一人はミュージシャンにたとえました。 「自分だけが知っていて応援している若手ミュージシャンが、メジャーデビューを果たし、誰もが知るところになると、応援したいという思いが薄れていく。そんな気持ちになったのでは?」  これには一同、「わかりやすいたとえ」と納得でした。

〈お金がほんとうに何もなくなった時には、自分のありったけの力を、ためす事ができて、とても張り合いがありました。だって、お金のない時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。つぎつぎに私は、いいお料理を、発明したでしょう?〉 「私」は結婚してから最初の2年間を過ごした淀橋のアパートでの暮らしが、最も楽しかったと回想しています。「私」が大切にしたかったのは、清貧の楽しみなのだ、と。  Uranoも「それ、わかる!」と思いましたが、これについては多くの参加者から反論が。 「『私』はいいところのお嬢様だから、本当の貧乏を知らない。淀橋の2年間はいわば『貧乏ごっこ』で、食べるものがなくなったら、実家に戻ることもできる。逃げ場がある貧乏は本当とはいえないし、まして清貧ですらない」  うーん。そうなのかなぁ。  Uranoは、〈お金のない時の食事ほど楽しくて、おいしい〉というのは「私」の本心からの本音だと思ったけどなぁ。  別の参加者は、こう語っていました。 「もともと太宰は弱い自分をさらけ出す傾向にあり、弱者の味方になったり、清貧を求めたりしていた。そんな太宰自身、歳を重ねることで変化せざるを得なくなり、葛藤していたと思う。太宰が抱える『清貧』と『成金』の二面性を描いたのが『きりぎりす』だったのではないか?」

〈よくそれで、つまずかずに生きて行けるものだと、私は、そら恐ろしくも、不思議にも思います。きっと、悪い事が起こる。起こればいい。〉 「あなた」が成功した当初、「私」はとんとん拍子に事が進むのを見て〈悪い事の起こらぬよう〉祈ります。しかし次第に〈いまに、きっと、悪い事が起こる〉と予感するようになり、ついに〈わざわいが、起こってくれたらいい〉〈早くつまずいたら、いいのだ〉と、呪うまでになりました。  参加者の見解。 「成功のもととなった人付き合いの良さも、結局は『あなた』の才能の一つだと思う」 「世間で生きるためには、少なからずハッタリをかまさなくてはならない。『あなた』は人付き合いを重ねるなかで、ハッタリのかませ方を学んだだけのこと。それは決して悪い事ではないのだが、『私』は許せなかったのだろう」 「『あなた』は絵の実力よりも、人付き合いで成功していったから、転落するときは早いはず。そしてその転落は、そう遠くない将来に起こりそうな気もする。『あなた』を心底呪うのであれば、転落人生を見てから離縁してもいいのでは?」

〈もう、あなたたちの事は、私には、さっぱりわかりません。人間の誇りが、いったい、どこへ行ったのでしょう。おわかれいたします。〉  本作で2回目の「おわかれいたします」はラスト近くに出てきます。「あなた」だけでなく、信頼していたパトロンの但馬でさえ、本音と建前の落差が激しいのを見て、〈あなたたちの事は、私には、さっぱりわかりません〉という域に達してしまいました。  ところで、「私」は離縁したのでしょうか? また、そもそも本作は書簡なのでしょうか?  読書会では、そうした点にも話がおよびました。 「一見、書簡のように見えるが、前半に〈おしまいまでお聞きください〉とあるので、会話とも受け取れる」 「『あなた』が隣で寝ている横で、これを書いている光景が容易に想像できた」 「仮にこれを『あなた』が読んだとして、『あなた』の反論も読んでみたい」 「離縁すると口でだけ言っておいて、実際は分かれていない気がする」 「同じく、軽い気持ちで『おわかれいたします』と言っているだけのように読めた」

〈私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。この小さい、幽(かす)かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。〉  本作のラストにある名文です。この直前、「私」はラジオで「あなた」が御託を並べているのを聞き、嫌悪感からスイッチを切って寝床につきました。すると床下から、こおろぎの鳴き声が聞こえてきます。あまりにも近くで鳴いているので、背骨の中できりぎりすが鳴いているような錯覚を覚えた、というくだりです。 「こおろぎ」が「きりぎりす」に変わった理由は、よく分からないので置いておくとして(※「昔はきりぎりすのことを、こおろぎと呼んでいて、いつの間にか呼び名が逆転した」と話される参加者もいました)、「背骨にいるきりぎりす」は何の謂いなのか? また、「私」がこの声を一生忘れずに生きて行こうと思ったのはなぜなのでしょうか?  参加者の解説。 「ラジオで『あなた』が発した『私の、こんにちあるは、』という声が“大きな声”。それに対し、『私』が常々抱いてきた“世間には流されない”という決意を、きりぎりすの幽かな声にたとえたのでは?」  明解ですね!  もちろん、感想や解釈は人それぞれと思いますが、私は本作を読了後、「もしも現代文のテストで『きりぎりすの鳴き声は何のたとえであるのか、50字以内で答えなさい』と出されたら、白紙で出すしかない」と感じていたので、この参加者さんの解説は腑に落ちました。  ちなみに、 「『きりぎりす』は現代文のテストで絶対に出されないでしょ」 「もしも出題したら、国語の先生どうしで解釈が分かれてケンカになりそう」  といった意見もありました・・・。

その他の主な意見 自殺について ――冒頭に〈自分から死ぬという事は、いちばんの罪悪のような気もいたしますから〉とあるけど、太宰に言う資格はないと思う。 ――太宰は自殺しちゃったけど、本人は本当に死ぬ気はなかったんじゃないかな。たまたま、何度目かの自殺のふりが成功したのでは、という気がする。

絵について ――〈小さい庭と、日当たりのいい縁側の絵〉の説明が面白くて、思わず吹き出してしまった。 ――その絵の描写に〈青と黄色と、白だけの絵〉とある。青と黄色と白だけで描かれた縁側の絵って、いったいどんな絵なのか、見てみたい。

変化について ――人は変化していくもの。「あなた」が金を手にして変わっていったのは、ある意味では当然の成り行きだと思う。「私」がそのことに嫌悪感を抱くのは勝手だが、むしろ、そこまで見抜けずに結婚したほうに責任があると思った。 ――「あなた」も但馬も、みんな変わっていくなか、「私」だけが取り残されていった。そうした寂しい思いもあったのかもしれない。 ――実は「私」も変化している。〈いつの間にか私は、あの、いやな「奥様」みたいな形になっていました。〉とある。 ――周りに振り回されて、望まない方向へ引っ張られていくことが「私」には許せなかったのだろう。それが離縁を決意させ、結末の「きりぎりすの幽かな声」につながっていくのだろう。

 今回は上記のほかにもたくさんの意見が飛び交いました。課題本として指定したのは岩波文庫の『富嶽百景・走れメロス 他八篇』で、時間があればほかの収録作についても意見交換しようと思っていましたが、ほとんど「きりぎりす」のみで時間を使い切りました。  ご参加くださった皆さまには、貴重でユニークな意見&解釈をしてくださり、心より感謝申し上げます。

◇        ◇

 さて、次回の課題図書は朝井リョウ著『何者』です。「課題本には、読者どうしで意見が分かれるものを選んでほしい」との声を聞き、選定しました。次回もよろしくお願いします!

2017.10.18開催、10.22記

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