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第48回 東京小説読書会の報告


 第48回東京小説読書会は、月イチの水曜恒例の課題図書型。今回のテーマは円地文子著『女坂』です。前回の『ゴリオ爺さん』に続き、ご参加者の積読本から選んだもので、推薦の辞は「友人が『棺桶に入れてもらいたい』と話すほど気に入っているのを聞き、読みたいと思った」というものでした。

『女坂』は主人公の白川倫(とも)が、ひたすら夫の行友(ゆきとも)に向き合うというお話です。行友は明治初期の福島県の大書記官というエリートにして、たいへん好色な人物。「妾を探してこい」と、妻の倫を東京へ行かせるところから物語は始まります。

※※※以下、全体的にネタバレあり※※※

 私ことUranoは「おいおい、奥さんに二号さんをアテンドさせるなんて、いくら明治とはいえそれはないだろう」と突っ込んでしまいました。共同主催のHajimeさんも「行友は倫に刺されないよう、用心したほうがいい」と忠告。

 しかし『女坂』を棺桶に入れると決めていらっしゃるHさんは、「むしろビジネスっぽい印象を受けた。『オレがいい仕事をするために女を囲うのは致し方ないこと。その役目を、ぜひ頼む』といって、倫もそれを承諾する。そういう夫婦なんだな、と思えた」とのことでした。

 Hさんの影響で本作を積読していたSさんも「どうせ家で同居するのであれば、妻が見出した女のほうがいい。その点で、行友と倫の意見は一致していたのだろう」と考察されました。

「男子受けする女は、必ずしも女子受けがよくない。それと同じなのかな?」という声も飛び出し、なるほど、そういうものなのかもしれないと、一応納得できました。

■色彩の鮮やかさ

 ところで、Hさんは『女坂』のどこに惹かれるのでしょうか? お話をうかがうと、「とても色鮮やかであることと、明治時代の風俗が描き込まれている点が気に入っていて、1年に10回は読み返す。川べりの風情もいいし、着物の色彩もきれい」と話されていました。

 初めて読んだ方からも、

「自分から選ぶ本ではないが、読んでよかった。情景がありありと目に浮かんだ」

「第二章の『二十六夜の月』がよかった。いまは廃れた風習で、源氏物語のような幻想的な雰囲気もあって、円地さんはこうした世界観に憧れがあるのだろうとと思った」

 などという賛同意見が聞かれました。本作は「不倫モノ」というテーマとは別のレイヤーで、明治を色鮮やかに切り取った作品として楽しむこともできるようですね。

■魅力的な人物は?

 本書には多くの人物が登場しますが、最も支持を集めたのが倫の長女、悦子でした。本書は総じて男性が薄く、女性が濃く描かれているのですが、悦子だけは終始ドロドロすることなく、著者も愛情をもって大切に描いたことがうかがえます。物語の後半では弁護士に嫁いで娘も産んでいますし、他の登場人物に比べ、明るい後半生を送ることが予感されます。

 対照的に男性はみな欠点をもって描かれています。そもそも視点人物たる倫が色狂いの夫をもったせいで、「男は信用ならぬもの」という哲学が、本作では通底されています。1、2歳の孫の鷹夫や和也を見つめる倫が、〈笑ったり、顔をしかめたり、無心に動きまわっている小さい生きものが、いつか行友のような、道雅(※倫の長男)のような、岩本(※倫の甥)のような世間にあふれている男に変ってゆくことが気味悪い〉(p.139)と思いいたる場面など、その極致といえるでしょう。ああ、素直に孫の笑顔を喜べない倫の悲しさよ!

■須賀は自業自得?

 悦子と反対に、支持が広がらなかったのが一人目の妾の須賀です。本作で魅力的な女性は須賀しかいないと思い込んでいた私には意外なことで、しかも須賀は支持が集まらないどころか「不支持」が多く、総じて参加者からの風当たりが強いことに、肩身の狭い思いをしました。

 特に多かった意見が、「15歳で白川家の妾となった運命を恨むばかりで、自ら道を切り拓こうという意思がない」というもの。具体的に「倫が不治の病になった場面でもうろたえるだけだった。『店を出すから金をくれ』くらい言ってもよかったのではないか」「須賀にとって転機になり得たのが、薬学生の紺野と噂になったとき。みすみす人生を変えるチャンスを逃してしまって、残念だった」などというアドバイス(?)も、続々と飛び出しました。

 中には、「私も須賀が好きだった。若くて、身の振り方を知らないだけだったのでは?」という同情意見もありましたが、「物語の終盤で40歳を過ぎても依存体質は変わらなかった」との指摘もあり、皆さん須賀には厳しい目を向けていました。

■倫と行友の関係

 本作で倫が初めて肉声を語ったのはp.215以降、死の床が迫って、悦子に遺言じみたことを語るシーンではないでしょうか。それまでは徹底して黒子で、「倫は最後まで『妻』という仕事をやり切った」との指摘には、まさしくその通りだと感じました。

 けれども倫は、行友との結婚生活を後悔していません。子や孫に色狂いの血が入っていることに不安を感じるものの、絶望もしていません。明治女として生をまっとうしたと思わせる読後感ゆえ、「本作は悲劇ではない」と言い切る方もいるほどでした。

 そんな話から話題になったのが、「なぜ行友はモテたのか」ということ。具体的に説明されていませんが、ひとつの可能性として、行友はたいへん男っぷりがよかったことがあるでしょう。参加者が指摘したシーンのひとつが、物語の前半、行友が自由民権運動の連中を返り討ちにするくだりです。とりわけ一人目の妾の須賀は、これがきっかけて行友に惚れています。

「須賀は、上り調子の行友に出会っているから、転げ落ちるように惚れていった。でも由美(※二人目の妾)は少しあとに出会ったので、そこまでのめり込まなかった」という指摘も飛び出しました。

■倫亡きあとの白川家

 倫はしまいには「西太后」と呼ばれ、自他ともに認める白川家最大の実力者となります。「行友より長生きしなくては負けだ」と思い続け、しかし最後には行友より先に病に倒れてしまいましたが、そこで話題が及んだのが倫亡きあとの白川家について。

「行友は一人では何もできない男だし、年齢的にもそれほど長生きはしないだろう」

「となると、あとを切り盛りするのは最初の妾である須賀になるのだろうか。だけど須賀が一家の柱になれる力を持っているとは思えない」

「存在感はまったくないが、道雅の3人目の妻である藤江が中心になるのではないか。代替わりしたのち、藤江は須賀にいとまを出して白川家を乗っ取ることもできる」

「その道雅・藤江夫婦にしても、何か才があるわけではない。先代の財を少しずつ切り崩して、あとは没落していくだけなのだろう」

 白川家の行く末は、必ずしも明るくはなさそうですね。

■倫の最後の望み

 本作はオチが秀逸だと思います。このオチによって、倫が行友に一矢報い、胸のすく思いをする方も多いでしょう。倫の発言に恐れおののく参加者もいるほど、妙にリアリティがありました。

 オチについては読んでのお楽しみとさせていただきますが、倫は余命短いことを悟ると、悦子に「やらなくてはならないことがある」としきりに伝えます。しかし、何をやるのかは最後まで明確に語られませんでした。あるいは、遺言して行友に思いを伝えることが「やるべきこと」だったのかもしれませんが……。

 最後まで苦労して、坂道を登って、「耐えること」が「生きること」のモチベーションになってしまった倫。その生きざまに思いを巡らせながら、読書会ではいつまでも話が尽きることがありませんでした。

さて、次回は久しぶりに新潮文庫を離れ、中公文庫へ。

吉田修一著『静かな爆弾』です。

また次回、お会いしましょう。

2017.8.23開催、8.24記

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